2003-06-01から1ヶ月間の記事一覧

あなたもファム・ファタルになれる?

ファム・ファタル(femme fatale、以後ffと略す)という言葉を初めて目にしたのは、澁澤・種村いずれかの著作であったに違いない。ふつう「宿命の女」と訳されるこの言葉、鹿島茂さんに言わせれば、かならずしもその正確なニュアンスを伝えているとは言えな…

第47 忠太三昧

神宮前にあるワタリウム美術館で開催中の「建築家・伊東忠太の世界展」での関連企画のひとつ、「忠太の建築を巡るバス・ツアー」に書友やっきさんと一緒に参加した。貸切大型バス一台で、都内・横浜にある忠太の建築作品を巡る企画で、当日はあいにくの雨に…

「居住価値」と地域社会

昨日触れた山下和之『脱・持ち家神話のすすめ―〈住む〉ための哲学を求めて』*1(平凡社新書)に関連して、「居住価値」を追求し、また地域社会との結びつきに成功した人として思い浮かべるのが山口瞳さんである。 山口さんは麻布・川崎を経て、1964年に国立…

理想の「住まい」を求めて

日本人の住環境について、戦前では「持ち家」ではなく「借家」が普通だったという話はわりと有名だ。最近もこの話を何かの本で目にしたはずなのだが、憶えていない。川本三郎さんの『郊外の文学誌』*1(新潮社)だったろうか。 高島俊男さんによる向田邦子論…

松本清張の冷たさ

高度成長期に発した“社会派ミステリ”の祖松本清張の作品群には、あの時代の歴史性がべったりと付着している。 あれから数十年が経過した現在、「古びた」という一般的認識へのアンチ・テーゼだろうか、彼の作品を高度成長期日本社会を知るためのテキストとし…

気まぐれに『気まぐれ美術館』

このところ諸事に倦んだときページを開いて心を落ち着かすための本としていつも持ち歩いているのは、洲之内徹さんの『気まぐれ美術館』*1(新潮文庫)である。それこそ“気まぐれ”に少しずつ読み進めているから、なかなか読み終わらない。 『気まぐれ美術館』…

要するに独り言

養老孟司さんは無類のミステリ好きだ。多いときで月に20冊くらいミステリを読むという。しかも読むのはほとんど海外物。海外の作品であれば日本のものよりも相対的に現実味にとぼしく死は他人事であるというのが理由らしい。 そして読みまくり片っ端から忘れ…

幻想的本格ミステリ?

『陸橋殺人事件』という古典的ミステリで知られるイギリスの作家ロナルド・ノックスは、作品とはべつに「探偵小説十戒」という探偵小説の定義集(タブー集)を遺していることでも有名だ(1928年発表)。 江戸川乱歩が『幻影城』(講談社江戸川乱歩推理文庫51…

カフェ空間との親和性

山田稔さんの最新エッセイ集『あ・ぷろぽ―それはさておき』*1(平凡社)を読み終えた。『月刊百科』や『週刊朝日』『京都新聞』などに掲載されたエッセイを集めたもので、ひとつひとつが短く、軽快なユーモアに満ちたエッセイ集であった。 『コーマルタン界…

「二世」とは何か

人間は誰しも人の子である。そんな一般的な意味でいえば誰もが「(父あるいは母の)二世」であるわけだが、ふつう「二世」という場合はそうした一般的意味を指すものではない。 もっとも「二世」という立場の人物が、全人類を母集合とする“一般的二世”から社…

神経質な駄洒落づかい

昨日の最後のほうで触れた『句会で会った人』*1(富士見書房)は、『ちょっといい話』索引完成と相前後して読み終えた。 帯に「俳句ちょっといい話」とある。戸板さんの著作を何でもかんでも「○○ちょっといい話」といいかえるのは芸がないと思いつつも、実際…

「ちょっといい話」再評価

戸板康二さんが1993年1月に急逝されてから今年は10年目にあたる。活字メディアでとくにこのことを意識した特集などは目に入っていない。残念である。もし私が編集者であれば、戸板康二没後十年特集としてこんな企画を考えてみた。 戸板当世子未亡人へのイン…

「源氏」にもっとも近づいた日

丸谷才一さんの書いたものを読むと、「こういう」を「かういふ」、「ほうって」を「はふつて」というように(やうに)、旧かなづかいでいかにも典雅な雰囲気の文章を書きたくなってくる。今回はこの欲望をぐっとこらえる。 『女ざかり』以来10年ぶりという触…

風変わりな小説

谷崎潤一郎の『蓼喰ふ蟲』*1(岩波文庫)を読み終えた。再読。前に読んだのは90年の7月で、日記にはこんな感想が書いてある。確かに面白くは読んだが、何か物足りなさも感じた。これはこの小説が谷崎に珍しくマゾヒズムっ気がないということもあろう。加えて…

木の気持ち、花の気持ち

最近、「あのころこうしておけば」と悔やむことが多くなった。それだけ歳をとって「あのころ」という時間の堆積が多くなってきたということになるのだろう。 たとえば「あのころ木や花の名前をもっとおぼえていれば」という悔いがある。干支三回りを迎えた私…

昭和30年代における教養的読書の見取り図

先日読んだ獅子文六『自由学校』(新潮文庫)は50円で購入したものだった。満足度を金額で表現して購入価格で割った数値をかりに“満足指数”と名づけるとすれば、いくつくらいになるだろうか。 神田の某古書店での売値2000円でも十分もとが取れるような面白さ…

装幀とバーコード

装幀家としての和田誠さんは強硬なバーコード反対派である。自分のデザインしたカバーに二段のバーコードを入れられることに強い拒否反応を示している。少なくとも『装丁物語』*1(白水社)を上梓した1997年の時点ではそうであったが、いまでもこの考え方は…

濡れ場のような愛猫との戯れ

小林信彦『小説世界のロビンソン』*1(新潮文庫)の影響がいまだに続いている。練りに練られて組み立てられた物語への渇仰。 小林さんが同書のなかで力を入れられていたのは、谷崎『瘋癲老人日記』論だったが、もとより谷崎を読みたいという思いは自分のなか…

こんな面白い作家の小説を

今回山形・仙台にでかけるにあたって携えたのは、獅子文六の『自由学校』(新潮文庫)一冊。以前読んだ『てんやわんや』(感想は4/22条)、および『やっさもっさ』と合わせて獅子の“敗戦三部作”と呼ばれているうちの一冊である。 読みはじめるとこれまためっ…

愛される理由

村松友視さんの新著『ヤスケンの海』*1(幻冬舎)を読み終えた。 村松さんと中央公論社『海』編集部の同僚となり、以後互いに心を許す友人となった安原顯さん(ヤスケン)の没後、彼との思い出や彼の人となりを描いた読ませる評伝だった。 村松さんの編集者…

悪態から寿限無へ

川崎洋さんの『かがやく日本語の悪態』*1(新潮文庫)を読み終えた。 著者の川崎さんという方をこれまで知らなかったが、詩人であり、放送脚本や方言研究などでも活躍されている方とのこと。本書のなかでもこれまでの自著の成果がふんだんにとりいれられてい…

中公の謎がひとつ解けた話

さらに『sumus』別冊(まるごと一冊中公文庫)を読み込む。田中栞さんの「中公文庫の書物関係本」という文章を読んで、ある発見をした。長年謎に思っていたことが腑に落ちたのである。 それは中公文庫の「縮刷版」のこと。中公文庫では、自社シリーズである…

中公文庫の思い出

発売されたばかりの『sumus』別冊(まるごと一冊中公文庫)をようやく手に入れた。中公文庫に限ったファンというほどではないにせよ、文庫本好きたる者自然と中公文庫好きにもなるといえば、同好の士は理解してくれるだろうか。 まだすべてに目を通したわけ…

アイマイな記憶

坂口安吾の『不連続殺人事件』(角川文庫)を読み終えた。 本作品は日本探偵小説史に燦然と輝く名作という評価が与えられている。現在はどうなのか知らないけれど、少なくとも私が中学生だった約20年前の時点では、ベスト5には必ずランクされていたのではな…

書巻の気

先日『猫』を読み終えたとき、自分にとって漱石のベストはどの作品かということを考えた。読んだ作品をあれこれと頭に浮かべたすえ、『猫』でも『坊っちゃん』でも『三四郎』『夢十夜』でもなく、やはり『こゝろ』に落ち着くのである。 ではなぜ『こゝろ』に…

『猫』再読

小林信彦さんの『小説世界のロビンソン』*1(新潮文庫)を読んで、次に何よりも読みたくなったのは漱石の『吾輩は猫である』だった。これまでも幾度か再読を志したことがあるが、読み通すだけの気力に自信がなかったこともあり、手をつけかねていた。 ところ…