中公文庫の思い出

発売されたばかりの『sumus』別冊(まるごと一冊中公文庫)をようやく手に入れた。中公文庫に限ったファンというほどではないにせよ、文庫本好きたる者自然と中公文庫好きにもなるといえば、同好の士は理解してくれるだろうか。
まだすべてに目を通したわけではないが、山本善行岡崎武志両氏の対談、坂崎重盛さん、田中栞さん、南陀楼綾繁さんの文章、聖智文庫有馬卓也さんのインタビューなどを読んでいると、自らの“中公文庫関係史”も回顧してみたくなる。
けっこう驚いたのは、『夢声戦争日記』全七巻が中公文庫のなかでもかなり高価本のなかに位置されることだった。私はセット函入りで持っている。仙台での古本屋バイト時代、バイト先で購入したのである。
そのときの日記を見たらなかなか面白い。まず91年4月4日に全七巻のうち二〜七までの六冊をバイト先で見つけ購入した。その後残りの一を新刊書店(大学生協書籍部)で注文するも品切。
ところが運のいいことに、同月30日にいま手元にある函入り七巻セットをまたバイト先で見つけ、先に購った六冊を返却してあらためて七巻セットを購入したのである。
それから函入りのまま十二年。むろん読んでいない。この函を何回開けただろう。これも数えるほどしかないはずだ。文庫本スライド書棚の上にのせていたセット函を見ると、てっぺんに埃が積もっている。
同じく稀少本にあげられている塩谷賛の『幸田露伴』は、全四冊のうち(中)(下の一)の二冊しか持っていない。はたして四冊揃うのだろうか。また青江舜二郎『狩野亨吉の生涯』、川瀬一馬『随筆 蝸牛』、濱田泰三編『やまとのふみくら』あたりが珍しいことも知った。ほくほく。
長く探していてようやく入手できたものといえば、河野多恵子さんの『谷崎文学と肯定の欲望』。
探している過程で単行本(線引あり)のほうを先に入手し、自分を慰めた。その後文庫版も入手したが、そのとき嬉しかったかどうかも忘れてしまった。これも読んでいない。
河野さんの谷崎論でいえば、同じ中公文庫の『谷崎文学の愉しみ』のほうが好きだ。何度か読みかえしているほど。こちらは谷崎全集月報に連載されていた文章をまとめたものである。
あとはこれまた『sumus』でも何度か登場する吉田健一の『書架記』。これを入手したいきさつは何度か書いたが、あらためて日記を検索してみると、少し記憶違いをしていたことがわかった。手に入れたのはやはり91年の9月6日。日記にこう書いている。

一緒に中公文庫の包みも送られてくる。質感があったので、八月二十九日に振替で注文した三冊が来たのだと直感す。包みを開けたらやはり三冊全て来た。三冊というのは、『瓦礫の中』『怪奇な話』『書架記』(いずれも吉田健一)である。『怪奇…』は注文したら品切であったので、他も同じと諦めていた。井狩氏の著書を読んで思い切って直接版元にお金を送ることにした。「汚本・旧カバーでも可」と書いて懇願したので少しはと期待を持っていた。やはりやってみるものだ。確かに汚本・旧カバーであったが、全て入手できたのは非常に嬉しい。「何だ、ちゃんとあるんじゃないか、品切じゃねーじゃねーか」というのが正直な感想なり。結局消費税込みの新カバーを印刷する程に売れる見込みはないので倉庫に寝かせておいたということだろうか。まあ来たのでこれ以上文句は言うまい。じっくり読むことにしよう。超過分まで切手で送り返してくれた。この調子で石川淳の本や河野多恵子さんの『谷崎文学と肯定の欲望』を注文してみるか。
切手で代金を送ったのではなく、郵便振替(小為替?)で送り、おつりを切手で受け取ったのだったか。この方法を知ったのは井狩春男さんの本だったのか。『返品のない月曜日』(ちくま文庫)だろうか。
ちょうど消費税導入の端境期ということもあり、版元は消費税導入前の値段を刷り込んだカバーの本の扱いに困り、そのまま消えてしまった本も多いはず。私が入手した『書架記』はそういう一冊なのかもしれないのである。消費税導入がかえって幸いしたといえるかもしれない。なのに『書架記』も読んでいない。
このとき一緒に購入した『怪奇な話』はその後「僅少本復刊フェア」(93年4月)で復刊され、そのとき復刊された版も購入し、いま書棚の“吉田健一コーナー”に仲良く二冊並んでいる。
いま出た「僅少本復刊フェア」では、野尻抱影『星三百六十五夜』(上下)や石川淳『文學大概』も購入した。『星三百六十五夜』はこのほど中公文庫BIBLIOで四分冊でめでたく完結したのは記憶に新しい。
上記の日記中に『谷崎文学と肯定の欲望』とともに石川淳の名前も出ているが、石川淳の中公文庫作品も入手に苦労した。とくに一番新しい(といっても88年6月刊)『天馬賦』には、一度入手しそびれたという印象深いエピソードがある。これは“シブサワーナ日々”のなかに、90年11月19日の日記を引いているので参照されたい。
その他持っている中公文庫で貴重かもしれないと思うのは、日夏耿之介『風雪の中の対話』、渡辺一夫『戦国明暗二人妃』、福永武彦の『福永武彦画文集 玩草亭百花譜』(上中下)あたりだろうか。
福永武彦の本は草花のスケッチ集だが、93年に突然文庫化された。「こういう本が文庫になるのか」とある種の感動をもよおしつつ購入したのだが、いまや珍しい本なのではないか。
逆に買わなかったことが悔やまれるのは、森銑三の『偉人暦続篇』(上下)。正篇二冊は持っているものの(未読)、どういうわけか続篇二冊は買い漏らしてしまった。時期的にちょうど東京に移った前後に出たとおぼしく、その頃はとても本を買う精神的余裕はなかった。古本屋でも一度たりとも見かけたことがない*1
中公文庫、ああ、何たる豊穣な世界なのだろう。南陀楼さんの「中公文庫の日記本について書くなんて言わなければよかったのに日記」という、やたらに長いタイトルの文章の冒頭で書かれている、各社文庫から一冊ずつ日記本を選び出すということを自分もやろうと思ったが、力尽きてしまった。後日ゆっくり取り組んでみたい。

*1:〔後記〕その後綾瀬のデカダン文庫にてめでたく入手できた。