2003-05-01から1ヶ月間の記事一覧

物語を読もう

小林信彦さんの『ぼくたちの好きな戦争』*1(新潮文庫、感想は5/28条)という読み応えのある長篇を読み終えた充実感につつまれながら、本を書棚の“小林信彦コーナー”に収めようとした。『週刊文春』の連載エッセイ「人生は五十一から」の新刊、文庫新刊読み…

若気の至りを乗り越えて

はじめて買ったシングルレコード(いわゆるドーナツ盤)は、クリスタルキングの大ヒット曲「大都会」ではなかっただろうか。財津和夫のソロシングル「WAKE UP」を買ったことも憶えている。この2曲は奇しくも1979年(のおそらく後半)発売で、当時私は小学校…

解説がすべて

小林信彦さんの長篇小説『ぼくたちの好きな戦争』*1(新潮文庫)を読み終えた。 小林さんの小説はずいぶん昔に読んだことがあるはずだが、何を読んだか忘れてしまった。最近間歇的に押しよせる“小林信彦ブーム”でも読んだのはエッセイ(コラム)ばかり。実質…

團菊じじい

昨日まで歌舞伎座では「團菊祭」と銘打たれた興行をやっておりました。團菊とは申すまでもなく歌舞伎の二大名跡市川團十郎と尾上菊五郎のこと。毎年五月の歌舞伎座では当代のお二人を中心に、いわゆる「菊五郎劇団」中心の座組でこの「團菊祭」が開催されて…

これぞ“双方向型”エッセイ

一昨日久保田万太郎『火事息子』(中公文庫)に触れて、この作品が歌舞伎や邦楽の知識なしでは理解しにくいものであるとする戸板康二さんの解説を引用した。こういう場合は注釈という手がある。ただ注釈も物によってはうるさく感じられることがないでもない…

書店という神話空間

とうとう“禁断の扉”を開けてしまった。新刊本をネット通販で購入したのである。古本はやむを得ないにしても、カード決済が主たる支払手段である新刊本のネット通販には個人情報の面で不安があった。 もっとも主要な理由はほかにもある。本はなるべく本屋で並…

万太郎小説の仕掛け

久保田万太郎の『火事息子』*1(中公文庫)を読み終えた。浅草山谷にあった鰻の名店「重箱」の主人清次郎の独白のスタイルをとった情緒纏綿たる小説だった。 市川国府台の野砲連隊への入隊、浅草にある茶屋の女中との淡い恋、吉原の大火による店の類焼、関東…

小津安二郎のグルメ手帖

今年は映画監督小津安二郎の生誕百年・没後四十年の節目にあたる年である。出版や映画上映など、これを記念したさまざまな企画の情報が入ってくるようになった。実は私は小津映画を(たぶん)観たことがない。 旧作日本映画に興味を持ちだしたのは最近のこと…

あのころの未来

中味にふさわしい本のタイトルを思いついたとき、その本の成功(何をもって成功とみなすのかはおく)は半分以上約束されたと言えるだろう。 読む側にとっても、読んでいる本の中味とタイトルがぴたり一致していれば、さて続きを読もうかとその本を手にするだ…

「男性自身」の縮小再生産

煮詰まったときに頭をほぐすため少しずつひもといていた嵐山光三郎編『山口瞳「男性自身」傑作選 熟年編』*1(新潮文庫)をようやく読み終えた。 このアンソロジーは、新潮文庫で過去に出た『巨人ファン善人説』『素朴な画家の一日』『卑怯者の弁』『木槿の…

売り声の懐かしさ

私が少年時代を過ごした70年代には“物売りの声”はほとんど聞かれなくなっていた。もっともこれは田舎の郊外住宅地だったからということもある。物売りの声をあげながら路地の奥まで入り込むような商売は人の多い都会でこそ成り立つというものだろう。 とはい…

小林信彦の季節

たぶん今後この4月・5月は「小林信彦を読む季節」になってゆくのだろうなあと思う。去年もそうだった。 『週刊文春』連載のエッセイ「人生は五十一から」の最新刊『にっちもさっちも』(文藝春秋)を読んだことは先日書いた(2003/4/30条)。今回、同シリー…

路線の人格

「沿線民俗学研究家」三善里沙子さんの『中央線なヒト』*1(小学館文庫)を読み終えた。 前著『中央線の呪い』(扶桑社文庫)は未読だが、この二著あたりが中央線ブーム(そんなものがあるとすれば)、あるいは路線ごとの性格付けの動きに火をつけたのだろう…

理由のわからぬ面白さ

読み終えた感想をひと言でいえば、ずばり「面白い!」。もうひと言付け加えてもよいというのであれば、「でも、なぜ面白いのか理由がわからない」。獅子文六の『コーヒーと恋愛(可否道)』(角川文庫)のことである。 主人公は43歳になるテレビドラマ女優の…

三人三様の盛り場論

川本三郎・森まゆみ・橋爪紳也三氏の共著『世紀末盛り場考―にぎわいの新風景』*1(日本経済新聞社)を読み終えた。 95年から96年にかけて『日経流通新聞』に連載された、日本全国の盛り場を取り上げた三人によるリレー・コラムをまとめたのが本書である。上…

週明けと週末の落差

山口瞳さんの『月曜日の朝・金曜日の夜』*1(新潮文庫)を読み終えた。 この文庫版は、もともと『月曜日の朝』『金曜日の夜』という別の二冊の本を合本したもので、それぞれの部分に付されている「あとがき」によれば、前者は昭和48年の一年間『週刊朝日』に…

クシャミ・チクショウ考

大きなクシャミを立てつづけに数発かましたあと「チクショウ」「コンチクショウ」と吐き捨てる。威勢のいいおじさんの身ぶりとして類型化されている姿である。こうした風景は、現実的に私の身の回りではただ一度をのぞいて出会ったことがない。 大学時代の友…

山本周五郎の世界観

山口瞳と山本周五郎ということで、最近目に触れた山口さんの文章に、こんなエピソードが紹介されている。向田邦子は山本周五郎を認めなかった。そのことについて話しあったことはないけれど、山本周五郎におけるある種の甘さとか妥協を嫌ったのではないかと…

山本周五郎の浦安、山口瞳の国立

山本周五郎の代表作に数えられる『青べか物語』*1(新潮文庫)を読み終えた。主人公たる私(蒸気河岸の先生)が、東京近郊の漁師町浦粕に滞在した日々を、地元の人々との交流のエピソードを軸につづった連作短篇集である。 浦粕とは現千葉県浦安市のこと。東…

カバー論

ブックカバーと言ってしまうと、本を購入したときに書店でかけてくれるカバーだったり、文房具屋などで売られている皮・布・紙製のカバーの意味合いにとられてしまう。ここでは同じカバーでも、本にもとからかかっているカバーのことについて書きたい。 函入…

棚上げは是か非か

藤原正彦さんの文庫新刊『古風堂々数学者』*1(新潮文庫)を読み終えた。これまたいろいろと考えさせられるエッセイ集だった。 去年初めて藤原さんの著作『父の威厳 数学者の意地』(新潮文庫)を読んだとき(旧読前読後2002/5/24条参照)に感じたようなアン…

坪内スタイルと歴史叙述

この連休後半から読みはじめた坪内祐三さんの新刊『一九七二―「はじまり」のおわりと「おわり」のはじまり』*1(文藝春秋)をようやく読み終えた。 いや、「ようやく」という表現はいまの私の気分を必ずしも正確に言い表していない。並行に読んでいる本、外…

小口論

書物の背といわれる部分には、ふつう書名が印刷される。この背以外の紙の切り口は三方あって、すべてまとめて「小口」と総称される。 このうち、上下はそれぞれ天・地と呼ばれ、背と反対の部分、ふだん私たちが本を読んでいてページをめくるときに指が接する…

栞論

文庫本に紙の栞が挟み込まれるようになったのはいつ頃からだろう。老舗岩波文庫はもともとスピン(紐栞)を備えていないので、やはり岩波だろうか。あるいは角川文庫だろうか。自分の記憶でいえば、角川文庫で紙栞に初めて接したような気がする。 もとより昔…

ナンバーワンにならなくてもいい

SMAPの「世界に一つだけの花」は心に沁みる。何でもかんでも競争競争で人を押しのけることだけが価値あることではないだろう。競争原理に支配される人間は、その傍らで何か大事なものを失っているのではないかと思えるし、そういう組織からは「自由」という…

山本周五郎の探偵小説

山本周五郎さんの『寝ぼけ署長』*1(新潮文庫)を読み終えた。山本周五郎という作家を時代小説作家だとばかり思っていた私にとって、本書の存在は驚きだった。 本書のもととなった短篇連作は、戦後すぐの昭和21年『新青年』に連載された。『新青年』といえば…

エロスと食べ物と久保田万太郎

久世光彦さんの新刊短篇集『飲食男女(おんじきなんにょ)―おいしい女たち』*1(文藝春秋)を読み終えた。きわめて官能的にして幻想的、ノスタルジックな雰囲気に満たされた短篇集であり、絶妙なレトリックと凄烈なイメージに酔った。 物語は回想エッセイの…