万太郎小説の仕掛け

久保田万太郎『火事息子』*1(中公文庫)を読み終えた。浅草山谷にあった鰻の名店「重箱」の主人清次郎の独白のスタイルをとった情緒纏綿たる小説だった。
市川国府台の野砲連隊への入隊、浅草にある茶屋の女中との淡い恋、吉原の大火による店の類焼、関東大震災、軽井沢への出店、熱海への店の移転と、明治から昭和にかけての主人公の遍歴が東京の話し言葉でポツポツと語り出される。
重箱という鰻屋は、昨日触れた小津安二郎の「グルメ手帖」にもしっかりと書き込まれている。手帖には「西山 重箱」という文字から矢印が引かれ、その先に「熱海三一一四」という書き込みがある。西山とは浅草辺の地名だろうか。小津は熱海への移転もチェックしていたのだった。
貴田さんの本の本文には、「おそらく東京一高いと思われる鰻の店を赤坂で開いている「重箱」」(22頁)とあるので、熱海の店がふたたび東京に戻ってきたのであろうか。私は初めて耳にした店の名前だった。
こんな主人公の独白が胸を打つ。

月のうえにかかる雲。……月のうえをかすめては消えてゆく雲だ。……おれの一生のうえにふりかかったいろんな出来事は、しょせんは、それだったんだ。……いまは、もう、何んにも残っちゃァいないんだ。……残ってるのは、おれだけなんだ……(112頁)
鎌倉より湯島へ転居した身の上を、おりおりに詠んだ句とともにつづったエッセイと見まごう長文の「あとがき」もいい。戸板康二さんの解説も意を尽くしている。
戸板さんは解説のなかで、「この小説で、万太郎は、歌舞伎や邦楽を知らなければ理解しにくい、ひと時代前の東京人の話し方を、聞かせようとしている」として、小説中に見える義太夫の詞章や歌舞伎の台詞を紹介している。歌舞伎をいくぶんは知っている私でも気づかないものばかりだった。
書名の「火事息子」とは落語の題名に由来するという。矢野誠一さんの『落語讀本』(文春文庫)をめくってみたら、当然ながらこの小説に触れられていた。義太夫・歌舞伎・落語…万太郎小説を読む楽しみのひとつには、隠し味のように仕込まれたこのような要素を探し当てることもあるのかもしれない。