2003-09-01から1ヶ月間の記事一覧

評価という言説

『is』というポーラ文化研究所が出しているユニークな季刊雑誌があった。「あった」と過去形で書かなければならないのが悲しい。去年の9月、第88号(特集:終わり方の研究)をもって終刊したのである。 私はこの雑誌を第53号から毎号購入していた。第53号(…

山口文学における馬名の研究

競走馬の名前にはユニークなものが多い。日本独特の命名法として真っ先に浮かぶのは「冠名」である。馬主によって「サクラ」とか「シンボリ」「トウカイ」「メジロ」といった接頭語(冠名)が最初にあって、そのあと個別的な単語がつづく。 日本の場合カタカ…

草の思想

「草」という接頭語がつく言葉。草野球、草競馬、草芝居、草双紙…。中心的なものに対する周縁的なもの、本流に対するアンチ・本流、そんな語感をもつ「草」という言葉たちに対して、最初から親しみをおぼえていたわけではない。 もともと「草」が似合う田舎…

落語ミステリの王道

出張でもないのにこれだけの期間更新を怠ったのははじめてではあるまいか。家に帰っても本を読む気力が沸いてこなかったのだ。それに新刊書店でも本を買う気力が沸かない。私の場合、「これぞ」と思う新刊書を買い、それを読みたいと思う気持ちになることが…

興奮の鉄道文化論

子供の頃時刻表のダイヤを「読んで」、空想の旅をすることに夢中になっていた時期があったと言えば、同じような経験をお持ちの人も多いだろう。私の場合一過性だったためそれが「鉄道マニア」という地点にまで昇華することはなかった。子供の頃夢中になると…

父親の感傷

北上次郎さんの『記憶の放物線―感傷派のための翻訳小説案内』*1(本の雑誌社)を読み終えた。 本書は、先日読み終えて最大級の賛辞を贈った目黒考二名義の『活字学級』(角川文庫、感想は7/14条)と基本的に同じ路線に属する。すなわち、エンタテインメント…

幾層もの小津体験へ向かって

田中真澄(まさすみ)さんの『小津安二郎周游』*1(文藝春秋)を読み終えた。 私は小津安二郎監督の映画をまだ一本も観たことがない。しかし興味は大いにある。いずれ近いうちに見ることになるだろう。何せ今年は彼の生誕100年の記念すべき年にあたり、映画…

新宿裏の孤独

山口瞳さんと嵐山光三郎さん二人による檀一雄の人物スケッチを引き写しているうち、檀一雄という作家への関心が芽生えてきた。せっかくだからこれに関連した読書を続けよう。ということで手に取ったのは、以前買ったままになっていた沢木耕太郎さんの『檀』*…

師弟愛の三角関係

温泉というものにこだわりを持っていない。出不精だから自発的に旅行をする機会も少ない。二つ合わせると「温泉旅行」。したがって純粋にこの目的で旅することもほとんどない。 とはいえ、たまたま宿泊した場所が温泉であれば、ふだんは烏の行水に近い風呂の…

巧妙と通俗のバランス

佐野洋さんの『偶然の目撃者―北東西南推理館』*1(文春文庫)を読み終えた。本書は、私が佐野洋ファンになるきっかけとなった『内気な拾得者』(文春文庫、感想は3/15条)と同じシリーズの第一作目である。 作者ご自身が切り抜いていたり、読者から送られて…

文庫本・コレクション・ちくま文庫

文庫本という判型の本にこだわるようになったのはいつ頃からだろう。 …などという疑問を発するまでもなく、私の場合きっかけははっきりしている。講談社の「江戸川乱歩推理文庫」だ。このシリーズによって私は読書の世界に入り込むと同時に文庫本好きになり…

三十代後半の未来

昨日の夕方最寄り駅前の新刊書店で重松清さんの『トワイライト』*1(文藝春秋)を買ってきて読み始め、今日の昼には読み終えてしまった。400頁を一気に読み切る気力がまだ自分にも備わっていることを知り、嬉しかった。 昨日は読む前から涙腺がゆるみつつあ…

三十代後半へのエール

重松清さんの『カカシの夏休み』*1(文春文庫)を読み終えた。表題作のほか、「ライオン先生」「未来」というそれぞれ100頁を超える中篇三本が収録された小説集である。 このなかでは表題作「カカシの夏休み」がもっとも胸に迫るものがあった。最初の数頁を…

小説による主張

ホラー系の映画はあまり得意でないから観ないようにしている。ホラー小説となるともとより読まないほうなので、大丈夫かどうかわからない。むしろ小説で言えば、心理的ホラーが恐い。恐いけれどつい読んでしまう。 小林信彦さんの長篇『怪物がめざめる夜』*1…

読書に倦んだときには

読書好きの方の多くは、何冊かの本を並行的に読んでいるのではないだろうか。私の場合基本的には自宅で読む本と電車本の二系統がある。毎日少なくとも二冊は並行して読んでいるわけである。 ところが最近は自宅本が分裂気味で、単行本と文庫・新書という二種…

作家とスポーツ

すっかり余計な肉がついてしまい、運動などしようものなら少し動いただけで息切れしてしまう体たらくであるが、昔はこれでもスポーツマンだった。 小学校の頃はサッカー、中学に入ってバレーボール(中学にサッカー部がなかったため)、高校では一時期アマチ…

「翻訳」する谷崎

野崎歓さんの『谷崎潤一郎と異国の言語』*1(人文書院)を読み終えた。 本書については、すでに辻原登さんの書評があって(8/17付毎日新聞書評欄)、そこで辻原さんは「谷崎について書かれた本はどれも面白い。なぜだろう」という問いかけから書評の文章を始…