師弟愛の三角関係

温泉旅行記

温泉というものにこだわりを持っていない。出不精だから自発的に旅行をする機会も少ない。二つ合わせると「温泉旅行」。したがって純粋にこの目的で旅することもほとんどない。
とはいえ、たまたま宿泊した場所が温泉であれば、ふだんは烏の行水に近い風呂の時間も多少は長くなり、しかも朝風呂にも入ってしまう。せっかく温泉に泊まっているのだから…。つまりは貧乏性ということだろう。
嵐山光三郎さんの『温泉旅行記*1ちくま文庫)を読んだ。温泉につかり、句を詠み、うまいものを食べ歩くという温泉紀行であるが、読んだからといって嵐山さんが旅した日本各地の温泉に行きたくなるという境地に達したわけではない。別の点で興味深く読んだ。
というのは、本書には温泉紀行でありながら、尊敬する師(先輩)のあとを訪ねるという側面があるのである。本書でとくに触れられているのは、山口瞳檀一雄の二人(ほかに深沢七郎もいる)。山口さんを訪ねる旅は上山温泉、檀さんは大分である。
とりわけ「瞳忌や荒れるパドック上山」というタイトルの上山紀行は本書の白眉であると言っても過言ではない。山口さん生前最後の旅は上山温泉だった(新潮文庫『江分利満氏の優雅なサヨナラ』に詳しい)。嵐山さんは当時東北地方の温泉を放浪中で、山口さんが病床にありながら上山温泉に旅行するという話を伝え聞いたときは同じ山形県の滑川温泉滞在中だったので、飛んでいったという。
本書の紀行はその一年後にふたたび上山を訪れたもので、嵐山さんの山口さんへの追慕が満ちた哀切きわまりない文章となっている。

みんな、山口さんがいない、やりどころのない空漠感を味わっている。山口さんは、へそ曲りで頑固で融通がきかないうるさ型であったが、少年の純情とガキ大将気分を持った人でもあった。限りなく優しい人で他人の面倒をよくみた。(161頁)
山口さんが可愛がった地元のマッサージ師の女性(てっちゃんと言い、新潮文庫草競馬流浪記』に言及されているという)を呼び、二人で山口さんの思い出話に花が咲く。彼女には山口さんが亡くなった日、突然歩けなくなるという虫の知らせがあった。すすり泣きながら「山口先生は、神様のような人だよお。いまは『優雅なサヨナラ』を枕元に置いて寝てるんだ」と話す。
地元でありながら(地元だからこそ、か)上山競馬場には一度しか行ったことがなく、上山温泉にはまったく行ったことがない。東京に住んでいるいま、無性に上山に「旅」したくなった。本書を読んで旅心を動かされた唯一の場所である。
いっぽうの檀一雄さんについては、編集者時代からの付き合いで、長男の太郎さんとは親友であるという。唐津の旅先でたまたま太郎さんが大分にいることを知って連絡をとり、二人で酒を飲んでは温泉につかった行状が「夏の温泉は川沿いに限るぞ」の章で報告されている。
檀一雄さんについては、この文章以外にも本書の別の場所何ヶ所かでも言及されており、山口さんに劣らず師事した作家だったらしい。
ところで嵐山さんが尊敬した山口瞳さんと檀一雄さん、この二人の間には交友関係はあったのだろうか。そんな疑問が沸いていたところに、ちょうどその関係があったことを示す文章に出会った。山口さんの「火宅の人」というエッセイである(新潮文庫『男性自身 巨人ファン善人説』所収)。これはつぎの「青山葬儀所控室」と併せて檀さんの追悼文であった。
読むと、山口さんと檀さんは、嵐山さんの場合と同じく編集者と作家という付き合いから始まり、一緒にお酒を飲む仲に発展していったらしい。「火宅の人」では、そのタイトルにある代表作を高く評価している。そして山口さんは檀一雄という人物をこうスケッチする。
檀さんぐらい一緒に酒を飲んで楽しい人はいなかった。とにかく面白かった。屈託がない。(…)檀さんは機智の人である。だから飲んでいるときの会話が面白い。(「火宅の人」)
檀さんの葬式は不思議に明るかった。澄んでいた。それが、いかにも檀さんらしいと思った。妻子に恵まれ、師に恵まれ、多くの先輩作家と友人に愛され、自ら多くの女を愛し、飲みたいものを飲み、食べたいものを食べつくした人の葬式なのだから…。(「青山葬儀所控室」)
ちなみに嵐山さんによる檀一雄スケッチは次のようなもの。
檀さんは快男児であった。男のなかの男であった。豪快で気取らず、隔てなく人とつきあった。「最後の文士」という気配を有している人だった。檀さんのまわりにはいろいろの友人が集まった。(220頁)
嵐山さんのこうした人物描写に山口さんの影響を感じずにはいられない。そのまま山口さんの文章だと嘘をついても通用するような、その人の本質をズバリズバリと突いた畳みかけるような簡潔な人物描写である。