2010-01-01から1年間の記事一覧

写実絵画の不思議

開館記念特別展@ホキ美術館 ホキ美術館は、千葉市の東、住所でいえば緑区あすみが丘東というところにある。外房線JR土気駅が最寄駅である。昭和の森という森林公園に接している。…とわかったように書いているけれど、土気という駅、あすみが丘という地名は…

しあわせなタバコ

特別展 和田誠の仕事@たばこと塩の博物館 タバコをやめて十数年経つ。そのころ200円台前半だった一箱の値段は、税金の値上げによって400円台に突入した。もしも禁煙しないで吸いつづけていたら、この値上げにどう対処したであろうか。 わたしのばあい、就職…

学生女房幻想

川本三郎編映画少年の夢@神保町シアター 「奥様は大学生」(1956年、東京映画・東宝) 監督杉江敏男/脚本長瀬喜伴/音楽神津善行/香川京子/木村功/中村メイコ/宝田明/藤原釜足/河内桃子/北川町子/加藤春哉/太刀川洋一/瀬良明 麻布出身の川本三郎…

Tで吉田秀和

以前も書いたように(→3/30条)、子どものサッカー練習へのつきあいはいまも毎週つづいている。最寄駅前にある古本屋はとても好きなお店なのだけれど、そうそう毎週通うたびにのぞいていては面白味がなくなる。給料が入った直後の週末、月に一度程度で我慢し…

井上ひさし、三谷幸喜、和田誠、山藤章二

昨日(7日)の朝日新聞夕刊に載った「三谷幸喜のありふれた生活」は、井上ひさしさんの追悼文だった。井上さんと会ったときのエピソードを交えながらその死を悼んだ文章は、抑制がきいていて、おなじ脚本家として敬意に満ちたとてもいいものだった。 そこに…

観ていない展覧会の図録

日本近代洋画の名品選@神奈川県立近代美術館(鎌倉館) 鎌倉は想像を絶する大渋滞だった。べつに車で鎌倉を訪れたわけではない。駅を出て小町通りから鶴岡八幡宮に向かおうと思ったら、見渡すかぎり道は人の頭で埋めつくされており、思わず横丁を右に折れ、…

下落合風景を満喫する

佐伯祐三展―下落合の風景―@新宿区立新宿歴史博物館

第99 佐伯祐三を歩く

佐伯祐三の絵を観るたび、彼がアトリエをかまえた下落合周辺を描いた作品群(「下落合風景」)が好きだと書いてきた(→2007/4/30条・2005/9/18条)。 5年前の2005年の記録では、下落合にいまも現存する佐伯のアトリエを訪れてみたいと書いている。アトリエは…

風景と静物

長谷川潾二郎展―平明・静謐・孤高―@平塚市美術館 平塚の町。これまでわたしにはまったく縁がなかった。町の名前で思い出すのは、ベルマーレ平塚(湘南ベルマーレの前身)、箱根駅伝の中継所であり、中学高校時代同じ苗字の同級生がいたなあという程度。東海…

木村荘八の挿絵本

永井荷風の『墨東綺譚』。もちろん小説としてのできばえには文句のつけようがないけれど、本を手に取って文字を追うときのあの心地よさは、木村荘八の手になる挿絵の力にあずかるところ大だ。繰り返しページを開きたくなるのもあの挿絵のおかげだし、すでに…

追悼井上ひさしさん

井上ひさしさんの訃報を知り、がっくり肩を落とした。わが郷里山形の誇る作家として、丸谷才一さんとならび敬意を抱いてきた人だけに、残念きわまりない。もっともこの二人、井上さんは置賜、丸谷さんは庄内なので、山形市出身のわたしから見ればたんなる同…

南方熊楠と中沢新一

新聞の新刊広告に、『高山寺蔵 南方熊楠書翰 土宜法龍宛1893-1922』(藤原書店)という本を見つけて、しばらくぶりに南方熊楠の世界に触れた思いがした。 広告には、「新発見の最重要書翰群、ついに公刊!」「2004年に、栂尾山高山寺で発見された書翰全43通…

丸谷才一さんの本

本の箱詰め作業に追われているいっぽうで、新刊本も買いつづけている。でも引越まで時間的余裕がないため、買ってもじっくり読むことはできない。こういう場合、拾い読みのできる、短くて比較的軽めのエッセイ集があればいい。 積まれた本の上に、丸谷才一さ…

大相撲のすがた

ドイツ文学者の高橋義孝さんは、山口瞳さんが師と仰ぐ一人だ。晩年は人生論や礼儀作法に一家言もつ随筆家として、何冊かのエッセイ集を出している。 古本屋で高橋さんの文庫本を見かけると、ひとまず買っておくようにしていたところ、何冊か集まってきた。け…

お楽しみはこれからだ

シリーズ物は一冊はまると厄介だ。コレクター気質があるから、その他の本も集めないでは気がすまなくなる。そのシリーズが現役ならばまだいい。すでに過去のものである場合、品切本を集めるのに苦労する。昨日の話ではないが、それこそ最終的にはネット古書…

川本三郎から松本清張へ

大好きな書き手である川本三郎さんの著作は、本棚の一角、鹿島茂さんと隣同士に並べていた。もちろん鹿島さんも川本さんも次々本を出されるので、そこには収まりきらなくなる。やむをえず別集団が積ん読山を構成することになるが、なるべくバラバラにならず…

月曜日の朝

山口瞳さんの作品は、肝心の「男性自身」シリーズをのぞけばたいてい文庫で読めるし、本づくりに凝って単行本も集めたくなるような作家ともちがうので、単行本まで買い集めるには至っていない。 とはいえ文庫本とは違った構成の短篇集だとか(たとえば『犬の…

水上勉のミステリ

長男が所属するサッカーチームは千葉を活動拠点にしている。自家用車のないわが家は、このため毎週週末になると電車を三本乗りついでその方面に出かけることになる。もっぱら送り迎えは妻の役目で、どうしても都合がつかない場合にかぎり、わたしの出番だ。 …

永井龍男全集

積ん読の山の底のほうから、『永井龍男全集』が出てきた。『内田百間全集』とおなじく講談社から刊行されたもの。といっても、『内田百間全集』とはちがい、『永井龍男全集』は端本二冊を持っているだけである。 このうちの一冊、第四巻(短篇小説4)には、…

内田百間全集

近々引っ越しするため、本の整理をしている。「残りの人生で読むか読まないか」を基準に、これまでにない大粛正を断行するつもりで、部屋にある本一冊一冊を仕分けしている。 ところが捨てられない性分が災いしている。たとえ残りの人生で読まなくとも、本棚…

まだ見ていない人は幸せだ!

先日出張したとき時間的余裕があったので、その世界をよく知っている同僚に連れられ何軒かの古本屋さんをめぐった。このうち一軒は店頭本の箱のなかに明治時代の和綴教科書を放りこんでいるような風変わりな古本屋さんではあったが、総じてこぢんまりとした…

わが町に図書館がやってきた

子どものころ住んでいたところは、県庁所在地の都市とはいっても、川を越えれば隣の市という北のはずれにあって、中心部に出るまでバスで30分以上かかった。市立図書館は駅や市役所などがある繁華街からさらに少し離れた城下町のはずれにあった。近くにはこ…

歴史を拒むことも

斎藤明美さんの新著『高峰秀子の流儀』(文藝春秋)を読み終えて、深いため息をついた。この本で書かれた高峰秀子さんのような人間に憧れる。ああいう人間になりたいけれど、本当にそうなったときの自分が想像できない。いろいろ複雑な思いが頭のなかを駆け…

成瀬映画の高峰秀子にひたる

女優・高峰秀子@神保町シアター 「妻の心」(1956年、東宝) ※二度目 監督成瀬巳喜男/脚本井出俊郎/美術中古智/高峰秀子/小林桂樹/三船敏郎/三好栄子/千秋実/中北千枝子/杉葉子/沢村貞子/加東大介/花井蘭子/田中春男/根岸明美/北川町子/塩…

恐ろしい女優若尾文子

昭和の銀幕に輝くヒロイン第51弾 若尾文子@ラピュタ阿佐ヶ谷 「爛」(1962年、大映東京) 監督増村保造/原作徳田秋声/脚本新藤兼人/若尾文子/田宮二郎/水谷良重/船越英二/丹阿弥谷津子/弓恵子/藤原礼子/倉田マユミ/仲村隆/浜村純/殿山泰司/中…

編者と読者の相互作用

おととしのことだったか、朝日カルチャーセンターで話をしないかというお誘いをいただいた。およそ人前で話すことは大の苦手であったわたしだが、ここ何年か、兼任講師として一年の後半の週二回、ふたつの大学で一コマずつ話をしているうちに度胸がついてき…

通史礼賛

趣味嗜好が偏向的でかつマニアックだからか、ある分野のことを包括的に叙述する概説書のたぐいはあまり好まなかった。たとえば歴史でいえば「通史」がそれにあたる。 子どものときから通史的な、あるいは教科書的な広く浅くという知識提供に物足りなさをおぼ…

「棗の木」に感謝

内田百間の随筆を読む。たしかにこのことも現実から逃れるための入口であるに違いない。第七文集の『随筆新雨』を読み終えた。 百鬼園先生の文集については、旺文社文庫版を古いほうから読んでいくことをつづけている。いま調べると、第五文集『凸凹道』のこ…

閑雅になりたい

昨年自分にしては大きな仕事をひとつやり遂げたのだが、事態はいっこうに改善の気配がみられない。あいかわらずせわしなく、年末年始もゆっくり骨休めどころではなかった。何でも引き受ける自分が悪いのだが、今月それぞれ別のテーマで研究報告を三つこなさ…