井上ひさし、三谷幸喜、和田誠、山藤章二

井上さんや和田さんの本

昨日(7日)の朝日新聞夕刊に載った「三谷幸喜のありふれた生活」は、井上ひさしさんの追悼文だった。井上さんと会ったときのエピソードを交えながらその死を悼んだ文章は、抑制がきいていて、おなじ脚本家として敬意に満ちたとてもいいものだった。
そこに添えられているのは、「ひょっこりひょうたん島」に登場する人形たちに囲まれた笑顔の井上さんを描いたイラスト。もちろん和田誠さんの手になる。
ここではからずも思い出したのは、山藤章二さんによる井上さんの似顔絵である。野坂昭如さんの似顔絵と双璧をなす、まるで類人猿のような、いい意味で悪意に満ちた(?)似顔絵は、和田さんの善意にあふれた似顔絵とまことに好一対をなしている。
そんな山藤イラストの宝庫である井上さんの『巷談辞典』*1(文春文庫)を手にとり、開いたページを拾い読みならぬ「拾い見」する。この『巷談辞典』は“夕刊フジ連載エッセイ”のひとつだが、あの遅筆で知られた井上さんが、毎日夕刊紙に連載を持っていたとは、奇跡のようである。だからこそ、毎回のテーマを「漢字四文字」(かならずしも四字熟語とはかぎらない)に設定して、そうした規制から逆に文章を生み出そうという背水の陣的手法をとったのかもしれない。
それにしても和田さんの似顔絵は、故人に花を持たせたかのように慈愛に満ちたもので、そのためあの一度見たら忘れない風貌は彷彿としてこない。和田さんの似顔絵と山藤さんの似顔絵の対比ということでは、これも以前触れた和田さんの著書『似顔絵物語*2白水uブックス)に言及がある。

とにかく二人は並べられたり、比較されたりすることがよくあります。どんなふうに比較されるかというと、山藤はハードで和田はソフトである、と。言い方が違うと、山藤が意地悪で和田は優しい、になるし、対象を見つめる目が山藤は厳しいが和田は甘い、にもなる。(193頁)
『似顔絵物語』がユニークなのは巻末に「図版索引」が付いていること。図版索引自体さしてめずらしいわけではない。学術的な本にもあって、典拠・所蔵者がそこに明記されている。和田さんの本のばあいは、人物またはモチーフ、作者、初出または依頼主、制作年という項目がきちんと立てられ、それを眺めていると思わず似顔絵の載ったページにジャンプしたくなる“読める図版索引”になっているのがいい。
本書には井上さんの似顔絵は一点だけあって、「井上ひさしシェイクスピア」というテーマで描かれたものだ。ここに描かれた井上さんもやはり優しくてソフトである。ということは、三谷さんの連載に添えられたイラストの優しさは、別に井上さんが亡くなったからというわけではないようだ。
そんなこんなでつい『似顔絵物語』まで拾い読み(拾い見)してしまった。このあいだまで読んでいた和田・三谷お二人の愉しい対談集『これもまた別の話』*3新潮文庫)を思い出しながら。
たまたま昨日は、書籍部に「追悼井上ひさし」の帯が付けられた『吉里吉里人』*4新潮文庫)が並んでいたのを見つけ、小口が削られていないことを確認し、上中下三冊を購入したばかりだった。まだこの代表作を読んでいなかったとは情けないが、逆にこれからこの傑作(たぶん)を味わえるのは幸せだと思うことにして、さっそく読みはじめている。