観ていない展覧会の図録

日本近代洋画の名品選

鎌倉は想像を絶する大渋滞だった。べつに車で鎌倉を訪れたわけではない。駅を出て小町通りから鶴岡八幡宮に向かおうと思ったら、見渡すかぎり道は人の頭で埋めつくされており、思わず横丁を右に折れ、段葛に避難してしまった。まるで高速道路のように人がのろのろと進むのだ。店頭でおいしそうな食べ物を売っている店があろうものならそこで流れが滞留するから、人ごみはさらに激しくなる。店はさながら料金所やサービスエリアなのだろう。そもそもゴールデンウィークに鎌倉に行くほうが間違っている。
目当ては八幡宮境内にある近代美術館だった。数年前に「佐伯祐三佐野繁次郎展」で葉山館を訪れたことがあるが、実は鎌倉館は初めて。八幡宮にはいくどとなく来ているというのに。
美術館に入る前に本殿前の階段下まで行き、先日倒壊した大銀杏を見物する。もともと銀杏があった場所にはこんもりと盛り土がなされ、倒れた銀杏の切り株が隣に鎮座している。いずれもに注連縄で結界がはられていた。盛り土にはあらたな銀杏が植えられたのだろうか。本殿に上るのにも人数制限があるらしく、一定間隔で階段下に待っている人たちがいっせいにのぼってゆく。一度だけ初詣に来たことがあるが、ほとんどその状態だ。
小町通り八幡宮境内の混雑をよそに、美術館のなかは静寂に満ちた別天地だった。佐伯祐三梅原龍三郎岸田劉生萬鉄五郎ら著名な近代洋画家の作品がならぶ。先日の新宿での佐伯祐三展図録に、日本の洋画家のうち、キャンバスを自ら製作した代表的画家として、佐伯と藤田嗣治二人の名前があげられていた。それが気になっていたので、とくに二人の絵では可能なかぎり作品に近づいてキャンバスの地を観てみようとしたが、残念ながら素人ではよくわからない。
今年は佐藤哲三の生誕100年ということで、別室では特集展示がおこなわれていた。代表作である「みぞれ」は先年東京ステーション・ギャラリーで開催された回顧展以来の再見(→2004/10/16条)。個人蔵だが、この近代美術館に寄託されているとのこと。
「みぞれ」を含む佐藤独特の横長画面を観ていると、“裏日本の冬枯れ”という言葉が頭に浮かび、その荒漠たる風景に妙な懐かしさをおぼえる。佐藤が描いた新潟平野の景色は、山形でいえば庄内平野に通じるものであって、同じ県とはいえ文化や風土が微妙に異なる内陸人であるわたしが「懐かしい」と思うのもおかしいのだが、やはり彼の風景画から伝わるものは、重苦しい灰色の空に覆われたあの冬の印象なのである。
ミュージアムショップでは、過去の図録などの特別セールが開催されていた。海老原喜之助展図録(2000円)など、食指をそそられる図録があったのだが、なぜか購入意欲が沸かない。わたしの場合図録とは、その展覧会を観たからこそ、終わってからも手もとであの絵を味わいたい、そういうためにあるらしい。だから、観ていない展覧会の図録は基本的に買う気が起こらない。例外は古本屋で入手した長谷川利行展の図録くらいか。
また、図録の賞味期限もごく短い。たいてい展覧会に行って数日もたてばめくることがなくなってしまう。今回の引越でこれら図録を持てあました。処分するにはもったいない、でも大きいから書棚にうまく収まらない。前の住居だと、バックナンバーを中に入れ、新刊を表に面出しで置いておけるような「マガジンシェルフ」があって、『東京人』『芸術新潮』などの雑誌や、展覧会図録はそこに収納すればよかったが、新居に適当な置き場所を見つけられず泣く泣く処分した。
いま見てみると、ダリやデルヴォー佐伯祐三展の図録などが数種類ある。それだけ東京周辺で彼らの展覧会が開催され、眼福を得たということなのだが、その都度きれいさっぱり忘れてしまうというのも、考えものである。