Tで吉田秀和

吉田秀和さんの文庫本

以前も書いたように(→3/30条)、子どものサッカー練習へのつきあいはいまも毎週つづいている。最寄駅前にある古本屋はとても好きなお店なのだけれど、そうそう毎週通うたびにのぞいていては面白味がなくなる。給料が入った直後の週末、月に一度程度で我慢している。
今回はたまに足を伸ばしてみようと思い立ち、電車で数駅戻ったTという大きな駅のそばにある古本屋の出店とブックオフに行ってみることにした。以前ブックオフにも一度訪れたことがあるが、品揃えの質が高かったのに驚いた。
そして今回もまた、期待に違わぬ品揃えで大満足だった。練習場まで電車で戻ったときには、およそサッカー練習場にはそぐわないブックオフのビニール袋に文庫本をごっそり詰め、それを手に提げて終わるのをまっていたほど。今度の引っ越しのさい、もうこれ以上絞りきれないというほど本を処分したが、これだけブックオフで本を買い込んだのは実に久しぶりのことで、こんなことをしていると、せっかくまだ空きの目立つ本棚がすぐ埋まってしまう。
講談社文芸文庫吉田健一著作が何冊も105円で売られていたのは驚いたが、すでに持っているから当然買わない。このほかにも講談社文芸文庫のめずらしい(わたしがあまり古本屋で出会わないという意味)本が並んでいたが、同じ人が売ったものだろうか。このなかから、清岡卓行『手の変幻』*1金子光晴『詩人 金子光晴自伝』*2を購う。いずれも「現代日本のエッセイ」のシリーズ。清岡作品のほうが105円。
ほかには、中村武志目白三平駅弁物語』*3旺文社文庫)が300円。中村さんの旺文社文庫著作は、『百鬼園先生と目白三平』『女房がつけた探偵』を持っている。
また川本三郎さんの『ネヴァーランドで映画を』*4(中公文庫)も300円。現在の川本ファンとしては、中公文庫に入っている初期著作はあまり性に合わないのだが、この本は映画の細部にこだわるということで面白そうだ。そういえば先週、練習場最寄駅前の古本屋で、川本さんと小藤田千栄子さんの共著『ポケットいっぱいの映画 映画ディテール小事典[スキ・スキ・バン・バン改訂版]』*5河出書房新社)を入手したのも嬉しいできごとだった。
さらに都筑道夫さんの『なめくじに聞いてみろ』講談社文庫)。もちろんこの長篇は読んでいるのだが(→2005/5/29条)、黒背の講談社文庫版、解説岡本喜八監督(いうまでもなく本作品を「殺人狂時代」として映画化)、105円という条件が揃って、めでたく購入。
以上で5冊と、これだけで自分にとっては久しぶりに大量買いなのだが、今回これに加えて音楽批評家吉田秀和さんの文庫本を7冊も買ってしまった。
クラシック音楽に無縁でいつづけたわたしも、少し変りつつある。自宅のパソコンで仕事をしているときなど、これまでi-podに入れたジャズを聴くことが多かったのだが、このところはiTunesのチューニングサービスを利用して、ジャズだけでなく、クラシック番組を聴くことも多くなったのである。
もちろんそれだけでは吉田秀和さんにはまだ近づかない。最近読んでいる(なかなか読み終えられない)丸谷才一さんの『文学のレッスン』*6(新潮社)のなかで、吉田さんのエッセイが高く評価されていて、その印象が強く残っていたためである。
たまたまブックオフで最初に目にした『ソロモンの歌』*7朝日文庫)が、音楽批評というよりも、音楽批評をからめた文芸・美術批評、文明論といった内容のエッセイ集であり、また最後に「荷風を読んで」という60頁にわたる長篇エッセイが収められていたことに心動かされた。いまちょうどわたし自身が荷風作品にのめりこんでいるためだ。
これが105円だったので迷わず購入することにして、つづけて棚を眺めていたら、ほかにも吉田さんの著作がごっそりあることに気づいた。105円コーナーの中公文庫棚には5冊も並んでいる。迷ったが、105円だし、これから熱中するかもしれない書き手であることが予想され、あとで「あのとき買っておけば…」と後悔するのもいやなので、このさい買うことにした。店の入口に引き返してカゴを取り、これまで手にしていた文庫本を入れる。
こんな様子なら、ほかのところ(おもに出版社別のコーナー)にもあったかもしれないと、あらためて文庫コーナーを最初から見直したら、思ったとおりほかにも多く吉田作品が並んでいた。ただし、いまのわたしにはまだ専門の音楽批評の作品は敷居が高いうえ、吉田さんのそういうたぐいの本なら、いまも現役で入手できるかもしれないと踏みとどまった。結局『ソロモンの歌』のほかに購入したのはすべて中公文庫で以下の6冊。

  • 『一枚のレコード』*8
  • 『レコードのモーツァルト*9
  • 『ヨーロッパの響、ヨーロッパの姿』*10
  • 『音楽の光と翳』*11
  • 『響きと鏡』*12
  • 『音楽紀行』*13

このうち『響きと鏡』のみ250円であとは105円だった。帰りの電車で読んだ「荷風を読んで」の次のような一節が心に沁みる。

そうして、すべての体験は、一回限りの決定的なものであり、そういうものとして、体験の価値は、もっぱら、その体験の深さと質の高さにかかっているのであって、荷風のみたアメリカやフランスがその後どう変ろうと、荷風は自分の外国体験を訂正する必要は全然ないのだ。いや、極言すれば、彼の体験がその国の最も重要な真実を理解しそこなったとしても、その体験は必ずしも価値がないとは言えない。ただ、それだけにまた、その体験を一般化する場合には、よほどの慎重さが必要になってくる。私は、荷風はそれを十分に鋭く自覚していた人間だ、と信じる。
吉田秀和さんの文庫本を売った人と、吉田健一清岡卓行の文庫本を売った人は、同一人物なのではなかろうか。そんな気がする。
気をよくして、T駅の線路をはさんで反対側にある練習場最寄駅前古本屋の出店ものぞいてみる。
少年時代の芥川比呂志だったか也寸志だったか、とにかく息子の手になる文字を背文字に使ったという、函の色が打ちっ放しのコンクリートのような岩波の旧版全集の端本が数冊並んでいた。全部300円。
ちょうどいま取りかかっている仕事のために、芥川のとある短篇小説を読んでおきたいと思っていたので、端本をワゴンから取り出し検分したところ、見事にビンゴだった。菊判の大ぶりな本だが、こういう出会いは大事にしなければならない。その端本1冊のみを購う。そもそもこの旧版全集、むかし学生時代に古本屋でアルバイトしていた頃、格安の値段で譲ってもらい、手もとに置いていたことがあった。「河童」や「歯車」などを読んだのもこの全集だったと思うが、ずっと以前に処分してしまっていたのである。端本とはいえ、また芥川全集が書棚に並ぶことになろうとは、思いもしなかった。