月曜日の朝

月曜日の朝

山口瞳さんの作品は、肝心の「男性自身」シリーズをのぞけばたいてい文庫で読めるし、本づくりに凝って単行本も集めたくなるような作家ともちがうので、単行本まで買い集めるには至っていない。
とはいえ文庫本とは違った構成の短篇集だとか(たとえば『犬の歴史』)、大好きな作品の元版(たとえば『酒呑みの自己弁護』)、署名入り(『迷惑旅行』、これは頑亭さんの絵まで入っている)は別である。
いま山口瞳さんは「本づくりに凝って単行本も集めたくなるような作家」ではないと書いてしまった。書誌を知り尽くしているわけではなく、実物もそれほど見ていないのでいい加減だが、山口さんには函入豪華本というものは少ないのではあるまいか。
例外はもちろんある。『血族』などがそれだ。古本屋でときどき見かける。文庫で持っているので買うにはおよんでいない。ただ、ひょっとして、万に一つ、山口さんの署名が入っているかもしれないというほのかな期待があるので、古本屋で見かけると、とりあえず函から出して見返しを見る癖がついている。
さらにもうひとつ、函入の豪華本がある。『月曜日の朝』である。新潮社、1976年刊行、菊判変型(?)函入、本体は茶色の布貼り。函は山口さんが描いたスケッチ、表表紙にも、山口さん描くところのスケッチが、名刺大カラー版で入っている。本文には、写真家田沼武能さん撮影にかかる中央線沿線風景が添えられている。写真はカラーもあればモノクロもある。著者名のところには、作者名と同じ大きさで「写真・田沼武能」とクレジットされている。さながら写真文集の観がある。
文庫版(新潮文庫)には、直後に同じ雑誌(『週刊朝日』)に連載された姉妹編の「金曜日の夜」が一緒に収められている(『月曜日の朝・金曜日の夜』)。「月曜日の朝」が随筆集なのに対し、「金曜日の朝」は掌編小説集である。いずれも中央線という路線をテーマにした作品だ。
文庫版にある「月曜日の朝」の「文庫のための後書き」には、こうある。

変なことを言うようだけれど、私は、この『月曜日の朝』という本が好きだった。それが文庫になったのは大変に嬉しいことである。あとがきにあるように、親本は、これを大判の写真集にして、本文を10ポイントという大きな活字で組んだために定価三千八百円という、べらぼうに高い本になってしまった。
たしかに定価が3800円なのだ。1976年の3800円。当時わたしは9歳だが、その年齢の子どもには縁のない金額だから、あまりピンとこない。
やはり整理の過程で久しぶりに所在が確認された『値段の明治大正昭和風俗史』上(朝日文庫*1をめくってみる。わたし個人になじみ深い項目で、同じ頃同じような値段だったものを探してみると、歌舞伎座一等席観覧料が昭和50年で4300円とある。それより一割がた安い値段。
歌舞伎座は建て替えのため来月いっぱいで閉鎖される。最近歌舞伎はほとんど行かなくなっていたが、子どもたちに歌舞伎座体験を味わわせてやりたかったので、先日家族4人で久しぶりに歌舞伎座に行った。「加茂堤」「楼門五三桐」「女暫」の三本。観覧料は「歌舞伎座さよなら公演」だけあって、これまでより割高だ。額だけ見ると変わらないが、かつては昼夜二部制、「さよなら公演」は三部制なので、それだけ割高というかっこう。
歌舞伎座には子ども料金などないので、わが家としてはもっとも安い三階B席で見物ということになる。それでも一人2500円だから、しめて10000円なり。一等席はというと15000円である。
この一等席の値段で比較すれば、『月曜日の朝』元版は1万円を超える豪華本ということになる。ただし書物の値段は一般的な物価にくらべてあまり上がっていないそうだから、せめて倍程度だろうか。それでもけっこう値が張る本という印象だ。
この本にはちょっと苦い思い出がある。とある古本屋が移転することになり、移転先は店舗面積が狭くなるという。ある日立ち寄ったところ、おやじさんが、移転しても本が置けないからセールだよと甘い言葉をかけてきた。この店は値付けが高めなうえに、いい本が揃っているから、ふだんはなかなか手が出せなかったのである。
セールだというので、半額くらいの出血大サービスをしてくれるのだろうと期待して、これまで指をくわえて眺めるだけだった本を、清水の舞台から飛び降りる気持ちで買うことに決めたのである。それらの本に付けられた値札をはぎ取りながらおやじさんが口にした値段は、せいぜい一、二割引程度のものだった。ええっ、そんなあ。いまさら買うのをやめにすると言うこともできない。涙をのんで財布から紙幣を抜き出したのであった。
とはいっても、そうした経緯でいま手もとにある『月曜日の朝』は、その後あまり古本屋でお目にかかることもないから、いい買い物をしたと考えをあらためている。