編者と読者の相互作用

おととしのことだったか、朝日カルチャーセンターで話をしないかというお誘いをいただいた。およそ人前で話すことは大の苦手であったわたしだが、ここ何年か、兼任講師として一年の後半の週二回、ふたつの大学で一コマずつ話をしているうちに度胸がついてきたものとみえる。自分でもあっさりと承諾したのは、あとから考えるとそら恐ろしいふるまいではあった。
結局その企画はある事情で流れてしまい、小遣い稼ぎをして手が届かなかった本を買おうという皮算用は夢と消えてしまったのだけれど、企画の説明を受けたときに見せられた受講者募集用の小冊子をめくりながら、自分はここで話をするよりも聴く立場のほうがずっといいと思ったものである。結果的にそうなってしまったのは、おのれの分際を知れ、という天の声なのだろう。
むしろ受講者になりたいと思った第一の講義は、北村薫さんのものだった。北村さんのお話は一度松濤美術館で拝聴したことがある。谷中安規展のおりだった。文字で読むエッセイや対談から伝わってくるやわらかな雰囲気そのままの、とてもいいお話だった。
新潮新書の新刊として出た『自分だけの一冊 北村薫のアンソロジー教室』*1を手にとりめくったら、朝日カルチャーセンターで話したことを本にしたものであることを知った。ちょうどわたしが聴きたいと思った、あの講義そのものらしい。こうなると買わずにはいられなくなる。
子どものころからアンソロジーを編むことが好きだったという体験から語り起こし、実際に小学生のころ手作りしたアンソロジーや、大学受験直前、受験勉強そっちのけで乱歩ばりにミステリを論評したノートなどを紹介しつつ、大人になってから携わったアンソロジー本の楽屋裏を紹介する。アンソロジー本を作ったときの担当編集者たちを毎回ゲストとして招いて、北村アンソロジー編集術について、編集者の目からも語ってもらう。
そしてアンソロジーを編むということの本質を、実例をあげながら愉快に語りつづけて、最後には受講者にマイ・アンソロジーをつくってきてもらうという「実作」を体験させる。やはりわたしもその場にいたかったなあ。
アンソロジーをつくるのはむずかしい。それをつくるためには、まずたくさんの本を読まなければならない。何もないところからは決して生まれない。
読むだけではない。読んだもののなかから、ある趣向にそって選ばなければならない。さらにそれらを並べなければならない。選ぶところに個性が出るのは当然だが、並べる(配列)こともまたアンソロジーの重要な要素となる。北村さんは次のように語る。

それからね、『古今』や『新古今』みたいな勅撰集だと配列に工夫する。つまり、歌集なんかだと、名作ばかり並べてもいけないんです。超傑作ばかりだと、読者が疲れてしまう。駄作ではないんだけれど、《これはいいな》程度のものが入っていないと傑作がきらめかない。(48頁)
読み、選び、並べる。こうして編纂されたものがアンソロジーとなるわけだが、本書を読むとそれで完結しないことがわかる。アンソロジーは創作ではないけれど、たしかにひとつの表現形式にほかならないのである。北村さんは繰り返し、アンソロジーは選者の個性が出ると説いている。
というわけで、アンソロジーというのは、《選んだのがどういう人か》を示している。勿論、収録されている作品を読むものでもありますが、同時に――あるいはそれ以上に、選者を読むものなんですね。(47頁)
選者を読んでもらうのがアンソロジーであるのなら、読み、選び、並べただけでは完結しないはずだ。さらに最後に「できあがったものを読んでもらう」ことへの飛躍が必要なのである。本書を読んでこのことを痛感する。
人に自分の好きな本を薦める、自分の好きな本を言い合って相手に理解してもらう。薦める人―薦められる人という人間関係においてとても繊細な、気をつかう大事なコミュニケーションであるのだが、アンソロジーを読んでもらうことは、さらにその数倍ものエネルギーを使うもののように感じる。
読んで選んで並べることまでならば、本好きの人ならばできるに違いない。そこで自己満足をおぼえる。そこから、他人に読んでもらうという地点へ飛躍することの難しさ。北村さんはその飛躍を奇蹟的に成功させたたぐいまれなアンソロジストと言っていい。
作品というのは、固定されたものとしてそこに《ある》わけではない。読みによって、その姿を変えるわけです。そこに読書の味がある。別の人が、違う角度から語ってくれるのは、こちらも聞きたいし、読者の方にも聞いていただきたいわけです。(119頁)
たんなる自己満足の結果を人に押しつけるだけではなく、読んでもらうことによって、他人がそれをどう感じとるかを知りたい。提供した作品群の姿が、編んだ当人にも予想できなかったかたちに変貌する様子を見てみたい。そんな編者と読者の相互作用がアンソロジーの効用なのかもしれない。