風景と静物

長谷川潾二郎展

  • 長谷川潾二郎展―平明・静謐・孤高―@平塚市美術館

平塚の町。これまでわたしにはまったく縁がなかった。町の名前で思い出すのは、ベルマーレ平塚湘南ベルマーレの前身)、箱根駅伝の中継所であり、中学高校時代同じ苗字の同級生がいたなあという程度。東海道線に乗って小田原まで行ったことがあるから平塚は通り過ぎたはずだが、降りたことがあるのは、小田原や藤沢までだった。
その平塚にある平塚市美術館で、長谷川潾二郎展が開催されているというので、ゴールデンウィーク幕開けの今日、電車を乗りついで初めて平塚の町を訪れた。
長谷川潾二郎といえば猫。洲之内コレクションにある、あの赤い絨毯の上で気持ちよく眠っている猫の絵を思い出す。展覧会のチラシも図録(『長谷川潾二郎画文集 静かな奇譚』として求龍堂刊)*1の表紙もこの絵(「猫」)が使われているから、彼の代表作ということなのだろう。この作品を洲之内徹さんが入手するに至った経緯は、『絵のなかの散歩』*2新潮文庫)に詳しい。
長谷川潾二郎作品がこれだけ集められた回顧展は初めてなのだという。それこそ洲之内さんの現代画廊や私立美術館で個展が開かれたことはあるようだが、今回の展覧会では120点を超える作品が展示されている。寡作な画家かと思っていたら、そうでもないようだ。たしかに洲之内さんの本を読むと、仕事が遅い(例の「猫」に髭を入れるまで何年もかかった)とは書いてあるが、寡作だとは書いていない。
前半は風景画、後半は静物画、というのが、展覧会のざっくりとした印象。木々の緑と、道の茶色と、青空、そんな三位一体の風景画がいくつもある。建物が描き込まれた絵はそれほど多くなく、「木と道」そんな印象だ。人間が登場する絵となると、もっと少なくなる。
洲之内さんは前記『絵のなかの散歩』のなかで、「長谷川さんは新緑が好きで、新緑をよく描くし、この人の絵の中の緑はまた特別美しい独特の緑であるが」と書いており、まさにそのとおり。
後半はずらりと静物画がならぶ。これまであまり静物画を熱心に眺めた記憶はあまりないが、リアルなようでリアリティという言葉で表現するのとはちょっと違う質感をともなったモノたちがひしめいている。描かれているのは果物や花、日常生活に使うような食器類、貝殻のようなオブジェなど。この静物画についても、洲之内さんの文章が的を射ている。

長谷川さんの仕事は決して単なる写生ではない。また、細密描写ではあるがトロンプルイユ式の、実物との錯覚で人をびっくりさせたり楽しませたりする態の写実でもない。はっきりした長谷川さんの自立的な造型の世界、完璧なスタイルを持っている。楽器で言えばハープシコードの音色だと私は思う。典雅で平明で澄んでいて、この世のものとも思えぬ趣さえある。
一枚貰っていっていいと言われたら、わたしが選ぶのは「畠」という制作年不詳の作品。畠で作られている野菜の緑、土の茶、天に広がる青空、この色合いの三位一体がとても素敵だ。
代表作「猫」は、宮城県美術館で観て以来だろうか。今回は、作品の上半分の背景となっている灰色の地の部分の質感に惹かれた。まさにキャンバスとしか言いようがない編み上げられた質感が、猫の眠りをやさしく包んでいる。
美術館からの帰り道、まるで「猫」に描かれた愛猫タローが抜け出てきたかのような猫に出くわした。わたしに向かってニャアニャアしきりに訴えかけてくる。猫を愛した長谷川潾二郎展の帰りに出会うのも何かの縁だろう。彼(彼女?)を写真におさめた。