丸谷才一さんの本

丸谷さんの本

本の箱詰め作業に追われているいっぽうで、新刊本も買いつづけている。でも引越まで時間的余裕がないため、買ってもじっくり読むことはできない。こういう場合、拾い読みのできる、短くて比較的軽めのエッセイ集があればいい。
積まれた本の上に、丸谷才一さんのエッセイ集『双六で東海道*1文藝春秋)のカバーと帯だけが放置してあって、ずっと気になっていた。新刊で出たとき読みはじめ、指の脂によって汚れるのを嫌いはずしておいたものだろう。しかし結局読み終えることなく、本体はどこかの積ん読山に埋もれてしまった。
整理しているうちにいつかは発見されるだろうと思っていたが、はたして先日無事発見され、久しぶりにカバー・帯との合体が実現した。はさんである栞を見ると、三分の二ほどまで読み進んでいたらしい。ちょうどいいので残りを読みはじめる。今度はカバー・帯も一緒に。
この『双六で東海道』は一篇一篇が長めで噛みごたえがあり、意外に読み通すのに難渋した。まもなく文庫化されるだろうから、またそのとき買い直して最初から読むことにしたい。せっかく再会を果たしたのだが、単行本は処分行きに。
『双六で東海道』は、丸谷エッセイには珍しく、軽く読むという点ではあまりふさわしいとは言えなかった。ただ箱詰をまぬがれている丸谷本はまだあって、寝しなちょっとした時間に読むため、寝る前にそれらを持ち出しては、枕もとで任意のページを開いて眠くなるまで読んでいた。たとえば、木星とシャーベット』(マガジンハウス)*2『挨拶はたいへんだ』朝日新聞社*3など。
木星とシャーベット』に、「国語入試問題大批判」というテーマでのエッセイがいくつか収められていて、そこに「山口瞳に同情する」という一篇があった。見てみると、東大二次試験の作文問題に、先日ここで取りあげた山口瞳さんの『月曜日の朝』中の一篇が出題されているではないか。偶然に驚く。設問は、それを読んで、感じたこと、考えたことを160字以上200字以内でまとめよというもの。
ここで丸谷さんが批判しているのは、問題として出された山口さんのエッセイは、実は全体の後半部分のみで、このエッセイは省かれた前半部分と一緒に読まないと後半が活きてこないのだ、ということ。そのほかの批判を読むと、そもそも引用された原文が出題者側によって勝手に改変されていることもあることを知って、試験問題とはそんなことをするのかと驚いたのである。
そういう読書を愉しんでいたら、ちょうど丸谷さんの新刊が出た。『人間的なアルファベット』*4講談社)だ。丸谷さんらしい、ユーモアと色っぽさにあふれ、知的刺激に満ちたエッセイ集。AからZまで、アルファベット26文字順にそれぞれの文字を頭にもった単語をタイトルに、「人間的」考察が展開されている。これはもう、読まずにいられなくなり、さっそく買ったその日から、枕もとで読みはじめている。