大相撲のすがた

高橋義孝の本

ドイツ文学者の高橋義孝さんは、山口瞳さんが師と仰ぐ一人だ。晩年は人生論や礼儀作法に一家言もつ随筆家として、何冊かのエッセイ集を出している。
古本屋で高橋さんの文庫本を見かけると、ひとまず買っておくようにしていたところ、何冊か集まってきた。けれども例のごとくさっぱり読んでいない。だから今回の引越で処分しようか迷ったのだが、何となくもったいない気がして思いとどまった。
そのうち、これも古本で買っておいた単行本『大相撲のすがた』平凡社)が見つかった。高橋さんは昭和39年(1964)に横綱審議委員となり、同56年(1981)から平成2年(1990)まで委員長をつとめた方である。この経歴は『大相撲のすがた』の序文と、エッセイ選集『私の人生頑固作法』講談社文芸文庫*1巻末年譜による。
『大相撲のすがた』は、高橋さんが相撲について書いたエッセイを集めたものである。一番最初に配されている「大相撲というもの」には、こんなことが書いてある。

人が相撲好きになる、あるいはある力士を贔屓するようになるのには、二つの条件の充たされることが不可欠である。その第一は、その力士が強いことであり、その第二は、その力士の風貌、挙止がその人にとって何となく好ましいということである。生れ故郷が同じだということも、ひょっとすると上の二条件に準ずる第三の条件として挙げていいかも知れない。
何度も書いていることだが、わたしは第57代横綱三重ノ海の熱烈なファンだった。三重ノ海とはつまりいまの武蔵川理事長である。こう胸を張って言えるのも、三重ノ海がまだ関脇時代だった頃からの贔屓だから。
あの北の湖全盛時代、もっと派手な活躍をする相撲取りがたくさんいたなかで、なぜ少年が三重ノ海に惹かれたのか、いまとなってはわからなくなっている。大関から一度陥落したもののすぐ復帰した根性、立ち合いでたまに「猫だまし」の奇手を繰り出す珍しさ、萌葱色(いや、エメラルドグリーン?)の締め込みなど、天の邪鬼で、“業師”好きな少年の心をとらえたのだろう。
『大相撲のすがた』を拾い読みしていたら、「私は嬉しい―新横綱三重ノ海誕生」「横綱三重ノ海頌」というエッセイを見つけて居ずまいを正した。前者にこう書いてある。
どの力士が好きで、どの力士が嫌いだなどということは、私の立場上あらわに口に出すべきではないということぐらいは充分に承知しているが、私とても一人の人間である以上、好悪の感を抱くことはどうしても避けがたい。しかし、敢えてお許しを乞うて、ここにはっきりと云うが、三重ノ海関は私の最も好むタイプの相撲取りである。
後者には、「私は三重ノ海関の重厚で地味な風貌を愛する」とある。わたしもその点まったく同じだ。北の湖前理事長のかげでナンバーツーとしての実力をたくわえていたところ、突然の理事長辞任により協会トップの地位が飛びこんできた。そんな就任の経緯も三重ノ海らしい。
高橋さんが三重ノ海贔屓であることを知った以上、もう本を処分するなどということは金輪際考えないことにする。
いまベースボールマガジン社から、『映像で見る国技大相撲』というDVD付雑誌が出ているが、三重ノ海がもっとも輝いていた頃の号(たぶん6月発売の12号、昭和53〜55年)を心待ちにしているのであった。