わが町に図書館がやってきた

子どものころ住んでいたところは、県庁所在地の都市とはいっても、川を越えれば隣の市という北のはずれにあって、中心部に出るまでバスで30分以上かかった。市立図書館は駅や市役所などがある繁華街からさらに少し離れた城下町のはずれにあった。近くにはこの町の繁栄を築きながら、数代で改易された大名を葬った大きな寺院があったので、たしかに城下町の周縁部であったのにちがいない。
だから本を借りるためには学校の図書室しかなかった。通っていた市内北辺の小学校は当初木造二階建てで、二年生のとき鉄筋の新校舎に建て替えられたのだったと思う。汲み取り式トイレの底から目玉が覗いているといったような「学校の怪談」がまことしやかに噂されるような、たいそう古びた茶色の校舎だった。夏休みプールに通った帰りに、図書室から「世界の七不思議」のような本を借り出したかすかな記憶がある。いまになればあの木造校舎がとても懐かしい。
公立図書館はかくほどに縁がなかったのだが、ある日、近くの公民館に市立図書館の「移動図書館」がやってきて状況が変わった。移動図書館の車から流されるアナウンスにうながされ、近隣に住む人びとが続々集まってくるのである。わたしもその例外ではなかった。過去の記憶なので派手になっているかもしれないが、まるでデパートのバーゲンのように人が移動図書館の車のまわりに集まり、目を皿にして本を探し、みんな貸出制限ぎりぎりの冊数を借り出したような気がする。
本、活字に飢えていたのだろうか、移動図書館・公立図書館がもの珍しかったのだろうか、理由はさだかではないけれども、移動図書館を熱狂的に迎える雰囲気が、あの時代、あの地域にはたしかにあったのである。いまでは、利用者の減少によって、移動図書館はもとより、各地域の公民館にある公立図書館の分室は次々と閉鎖されているという。時代は移り変わる。
移動図書館がわが町にやってきた頃、小学校高学年だったか、中学生だったか。横溝正史のミステリを借りた記憶があるが、書名まではおぼえていない。はっきりおぼえているのは、松本清張十万分の一の偶然だ。
このくらいの年ごろの子どもは誰でも、十万光年やら十万分の一やら、想像を超えてほとんど無限に近い数値にめまいをおぼえることがあるだろう。あの星の光りは十万年も前に発せられたものであることを想像して眠れなくなった。学校の図書室にない大人の本であったことにくわえ、マクロとミクロ、方向性はまったく異なるけれど、そんな数字に魅せられて『十万分の一の偶然』を手に取ったのにちがいない。
文春文庫から新装版として出た『十万分の一の偶然』を手にして、そんな思い出がよみがえった。
ひととおり読み終えて、巻末の書誌や宮部みゆきさんの解説を読むと、この本は昭和56年に刊行されたことがわかった。昭和56年ならばわたしは中学二年生だ。移動図書館というメディアに興奮したのは小学生でなく、中学生の頃だったのか。そして『十万分の一の偶然』は刊行間もない頃だったのだな。言われてみると、中学生になってわたしのミステリに対する関心は、横溝正史一辺倒から日本や海外の名作ミステリへと広がったのだった。
『点と線』を読んで松本清張という作家を知った少年は、刊行直後の『十万分の一の偶然』を移動図書館の棚に見つけ、その書名に刻まれた想像を超える数字に関心を動かされたのだろう。しかしながら例のごとく、内容については見事に記憶がない。たぶん田舎の中学生にとり、まだあのような「社会派ミステリ」の味わいは理解できなかったのだろう。
そんな思い出を含め、約30年ぶりに『十万分の一の偶然』を読んで感慨深いものがあった。東名高速で起きた自動車死亡事故を偶然目撃したアマチュア写真家が撮影した写真が、新聞社の写真年間賞に輝いた。何台もの自動車が玉突き衝突を起こし、炎上して死傷者が多数出た事故の発生直後にたまたま居合わせ、シャッターを押す。カメラマンがそんな機会にめぐりあえる確率はまさに「十万分の一」あるかどうかだ。
だからこそ、そんな偶然がありうるのかどうか、犠牲者と縁があった一人の男が疑問を抱いて、原因を調べ、撮影したカメラマンに近づこうとする。ミステリとしては、偶然に作為があったのかどうか、探偵役たる犠牲者の関係者が写真家に近づいていくという謎解きがまず面白く読める。
つぎに、その結果起きたある「事件」が、警察の執念深い捜査によっていかに発覚してゆくのかというもう一つの謎解きに期待を寄せるのだが、そちらのほうは余韻を持たせた終わり方になっており、消化不良の感が否めない。大胆な場面変換後、「おおっ、このあとどうなるの?」と本をめくる指がとまらなくなる反面、残りページが少ないのが気になる。結局社会派ミステリというよりは、犯罪小説的になっている。これでいいと思うのか、物足りないと思うのかは人それぞれだろう。わたしは後者だった。
宮部みゆきさんは北村薫さんと並ぶ「読み巧者」である。読み巧者ゆえにあれほどの傑作を書きつづけることができるのだ。松本清張が取り上げたテーマを、見事に現代の犯罪や被害者を取り巻く環境の変化に結びつける。こういう読み方があったのかと目から鱗が落ちるような解説は、新装版の素敵なおまけである。
新装版 十万分の一の偶然 長篇ミステリー傑作選 (文春文庫)