まだ見ていない人は幸せだ!

先日出張したとき時間的余裕があったので、その世界をよく知っている同僚に連れられ何軒かの古本屋さんをめぐった。このうち一軒は店頭本の箱のなかに明治時代の和綴教科書を放りこんでいるような風変わりな古本屋さんではあったが、総じてこぢんまりとした、何てことのない、雑然とした店ばかりだった。これは褒め言葉である。ジャンルや作家ごとに整理しきれていないため、どこの棚に宝や爆弾がひそんでいるかわからない。でも収穫がない可能性のほうが高い。わたしはそういう古本屋さんが好きなのだ。
そのうちの一軒で見つけたのが、文藝春秋『大アンケートによるミステリーサスペンス洋画ベスト150』*1文春文庫ヴィジュアル版)である。文春文庫ヴィジュアル版から出ているこの手の映画アンケートシリーズに目のないわたしとしては、見つけた瞬間すぐ棚から抜き取ったものの、すでに持っているかもしれないとしばし記憶のひきだしをさぐった。
迷った挙げ句、持っていない、だいいち読んだ(めくった)おぼえがないし、というとりあえずの結論にたどりつき、売価も300円と安いので買っておいた*2。面白そうな部分を拾い読みする。旅先のベッドで読むにはうってつけの本である。しかも読んでいるうち、ミステリー・サスペンス海外映画の世界に惹きこまれてしまった。
その世界の初心者にして、コレクター気質がある人間がベスト○○という本にはまると恐ろしい。案の定東京に戻ったわたしは、最寄駅近くのレンタル店に飛びこんだのである。気になって頭のなかにタイトルが刻まれていたいくつかの作品のうち、海外サスペンスのコーナーで探し当てた一本を借りてくる。アンリ・ジョルジュ=クルーゾー監督の名作「恐怖の報酬」である。
「えっ。いまごろ『恐怖の報酬』なの?」と驚く人もいるかもしれない。映画をたくさん観るようになったとはいっても、観るのはもっぱら古い日本映画中心。外国人の顔を見分けるのが苦手なうえ、その世界観がわからないから敬遠しがちだった。
でも根っからのミステリ・ファンである。錚々たる映画評論家、映画ファンの人びとが言葉を尽くして褒めたたえるコメントに接したら、その映画を観たくなるのはあたりまえではないか。ベスト150中に17本がランクインしているというヒッチコック作品は子どもの頃の日曜洋画劇場で何本か観て、面白かった記憶はあるものの、ストーリーはほとんどおぼえていない。だからまるっきりの初心者なのである。
『ミステリーサスペンス洋画ベスト150』のカバー裏には、「まだ見ていない人は幸せだ!」という惹句が刷られている。まさしく、わたしはこれからその150本を味わう時間がもてるのだから、幸せ者だと思うことにする。
さて「恐怖の報酬」。これは堂々第2位である(1位は「第三の男」)。文庫本冒頭の都筑道夫瀬戸川猛資山崎洋子渡辺武信各氏の座談会、作品紹介のコメントなどで絶賛されているとおり、ラストまで観ている者の心を離さない見事なストーリーだった。ニトログリセリンにちょっとでも振動を与えると爆発するという恐怖感が、ニトロのことを何もわかっていないのになぜかあるのも、この映画があればこそなのだな。山道のカーブが急な場所に設けられた切り返しポイントにおける“海綿木橋”のシークエンスにはドキドキさせられた。
わたしの背後でソファに寝そべっていた長男は、最初こそ字幕入りのモノクロ映画かとまったく関心を示さず、ゲームに夢中になっていたが、佳境に入ってきた頃様子をうかがうと画面に釘付けになっている。そんな雰囲気を感じながら観ているのも面白い。それにしても長男はもう小学生で「恐怖の報酬」を知ってしまったのか。幸せ者かもしれぬが、わたしにしてみればもったいない。
観終えたあとは、この作品を三谷幸喜さんと和田誠さんが語り合っている『それはまた別の話』*3(文春文庫)を持ってきて、「恐怖の報酬」の回だけ読む。というよりも読み直す。一度読んだはずなのだ。たしかにこの筋は観ていなくとも何となくおぼえがあった。
ふたりの対談に惹かれて観た映画には「素晴らしき哉、人生!」があるが*4、いっぽうで「恐怖の報酬」の場合、対談を読んでも観ようとしなかったのは、ふたりがさほど興奮して語っていないためなのかもしれない。『ミステリーサスペンス洋画ベスト150』での絶賛と多少の温度差がある。
対談のなかで、三谷さんが、スーパーマリオブラザースに出てくるマリオとルイージの名前は、この「恐怖の報酬」の登場人物(イヴ・モンタンがマリオで、フォルコ・リリがルイジ)に由来しているという蘊蓄を披露していた。映画の前半で息子がやっていたのが、まさに「スーパーマリオ」だったから、息子は大感激。小学生にして、スーパーマリオの由来が「恐怖の報酬」にあるという豆知識を得たのである。
今回のように、古本屋で文春文庫ヴィジュアル版の映画大アンケートシリーズを持っていたかどうか迷わないように、いま持っているものを記しておく。

  • 『大アンケートによる洋画ベスト150』(1988年7月) ISBN:4168108082
  • 『大アンケートによる日本映画ベスト100』(1989年6月) ISBN:4168116093
  • 『大アンケートミステリーサスペンス洋画ベスト150』(1991年9月)
  • 『洋・邦名画ベスト150 中・上級篇』(1992年11月) ISBN:4168116174
  • 『大アンケートによる男優ベスト150』(1993年10月) ISBN:4168116190
  • 『戦後生まれが選ぶ洋画ベスト100』(1995年9月) ISBN:4168116239

このほか、女優ベスト150、ラブシーンベスト150があるらしい。ラブシーンはともかく、女優ベスト150は欲しい。
このリストを作るために積ん読文庫本の山を探していたら、『ミステリーサスペンス洋画ベスト150』がなかから掘り出されてきた。なんと持っていたとは!

*1:ISBN:416811614X

*2:大阪の古本屋の特徴なのか、文庫本には丁寧にビニールカバーがかけられている。

*3:ISBN:4167385058

*4:2009年1月、衛星劇場からの録画にて。感想は書いていない。