草の思想

「草」という接頭語がつく言葉。草野球、草競馬、草芝居、草双紙…。中心的なものに対する周縁的なもの、本流に対するアンチ・本流、そんな語感をもつ「草」という言葉たちに対して、最初から親しみをおぼえていたわけではない。
もともと「草」が似合う田舎(アンチ中央)に住んでいた頃は、「草」とは反対のものに惹かれることのほうが多かった。草野球はまだしも、競馬は地元に上山競馬があったにもかかわらず徹底して無視し、福島の中央競馬にばかり目が向いていた。
不思議なもので、東京に移り住むようになってから、逆に今度は「草」的な心性を追い求めるようになったのである。競馬に限っていえば、そうした指向を加速させることになったのが、今回読み終えた山口瞳さんの草競馬流浪記』*1新潮文庫)である。
草競馬」とは言うまでもなく地方競馬のこと。日本各地の地方競馬場全27場すべてを巡った紀行である。本書元版が出たのは1984年(昭和59)、文庫化は1987年。連載は1981〜83年にかけて行なわれた(中野朗『変奇館の主人』響文社参照)。
本書のなかで山口さんは、中央・地方を問わず競馬が衰勢にあることを記している。もっともこのあと、少なくとも中央競馬は盛り返した。毎年のように馬券の売り上げを前年比プラスにするようなブームが訪れ、そのなか私も競馬ファンになった。
私が所持している文庫版は1995年(平成7)の二刷。ちょうど私が競馬にのめり込んだ時期に再版されたものである。このときの年度代表馬マヤノトップガンと書いたら、「ああ」と思い出される方もあろう。
話は本書の元になった連載の時点に戻る。衰勢にあった地方競馬を紀行の対象として選んだのはなぜか。もともと山口さんはギャンブルが好きで、本書のなかでもこんな持論を展開している。

競馬の主催者にはdirtyなイメージを一掃しようとする動きがある。暴力団追放ということであれば結構なことであるが、競馬そのものがdirtyではないとする考え方には僕は反対する。競馬はギャンブルである。ギャンブルが、どうして明るく健全なものになり得るだろうか。(文庫版288頁)
府中にある東京競馬場の近くに住む山口さんは、府中開催があると毎週府中に通った。その山口さんが地方競馬場を巡り歩く。面白くないはずがない。
地方競馬をわざと「草競馬」と記すのにも理由がある。草競馬という言葉につきまとうところの、一種の懐かしさ、解放感によるもの」(17頁)だという。この心性がいまになってようやく理解できる。
たんなる草競馬めぐりで馬券を買って一喜一憂した記録と思うなかれ。山口さんの他の紀行文に同じく、百鬼園先生の「阿房列車」を思い出させるような、編集者を道連れにしたハチャメチャ珍道中に、読んでいてつい頬がゆるむ。競馬場めぐりだけにおさまらないのはもとより山口さんの意図するところであった。
僕は、この読み物に「競馬場のある町」という副題をつけたいと思っていた。「競馬場のある町」というのと「この町には競馬場もある」というのとでは、ずいぶん違う。たとえば福島などは「競馬場のある町」である。シーズン中は熱気でムンムンしている。タクシーの運転手、寿司屋の職人はもとより、旅館の内儀なども場面を買う。競馬の話をすると目つきが変ってくる。(64頁)
本書のなかで山口さんが草競馬に惹かれるポイントとして、そのインチメイト(親密さ)な点をあげている。馬を間近で見られるというだけでない。競馬場に集まる人びと、競馬場で働く人びとの雰囲気が家族的な濃密度をもっている。そんな良さを文中何度も記す。上記引用文もそうした文脈で理解することができるだろう。
「競馬場のある町」が好き。そんな山口さんの嗜好はたとえば次のような一文を読んでもわかる。
しかし、僕、町中の野球場とか競馬場というのが嫌いではない。ちょっと川崎に似た雰囲気。住民に不満があるという。町の中に玩具がひとつ落ちていると思えばいいじゃないか。立派な人は玩具で遊ばないだろう。僕等は立派じゃないから、その玩具で遊ぼうと思ってやってきたのだ。(高崎編、412頁)
町の中に落ちている玩具という比喩が秀逸だ。たしかに競馬場や野球場が郊外でなく町中にあると何となく嬉しくなる。きっと南千住にあった東京球場などは、東京人にとっての「玩具」そのものだったに違いない。
本書には、こんな山口さんの思想を読む楽しみが詰まっている。