三人三様の盛り場論

世紀末盛り場考

川本三郎森まゆみ橋爪紳也三氏の共著『世紀末盛り場考―にぎわいの新風景』*1日本経済新聞社)を読み終えた。
95年から96年にかけて『日経流通新聞』に連載された、日本全国の盛り場を取り上げた三人によるリレー・コラムをまとめたのが本書である。上記三人の著書のファンである私にとって、たまらない魅力をもった本である。
三人がこれまでのお仕事のなかで「都市」に向き合ってきた姿勢は当然ながら異なっている。
町歩きをして町の毛細血管たる路地を歩いて偶然見つけた居酒屋にふらりと入る、そんな散歩者の視点と、文学作品や映画などから都市を考える視点を持っているのが川本さん。森さんは『谷根千』刊行の経験に基づき地域に根ざした「内部からのまなざし」で町の活性状況を観測する。また橋爪さんは歴史的視点から都市を見ると同時に、前のお二人より一世代若い人間として、また、関西生まれ・在住の人間として、関西の盛り場を中心に捕捉する。
盛り場の活況を伝えるという点では、年の功というべきか、川本・森両氏の記述が具体性を帯びていて面白い。橋爪氏の文章は、お二人の記述とくらべてしまうと抽象さが目立ってしまうが、相手が悪いというべきだろう。
本書のなかでとりわけ刺激的なのは川本さんの指摘だった。一般的にはマイナスとみなされがちな条件が逆に盛り場論としてはプラスであるという逆転の発想になるほどと唸らされる。
たとえば横浜・野毛を論じたくだりでは、野毛には「ジェントリフィケーション」と呼ばれる画一的な町のおしゃれ化ではない活気があるとし、その理由として日本中央競馬会の馬券売り場の存在をあげる。昼近くからおじさんたちであふれかえる町、それこそが盛り場としての活気なのだ。普通あの猥雑さは敬遠される。
また末尾に付されたまとめ的文章(「がんばれ、ごちゃごちゃ横丁」)では、東京一極集中の原因に新説が提示される。「東京の盛り場はどこも昔ながらの路地裏的空間を残しているのだから」というのがその理由だ。
たしかに地方都市では郊外の発展にともなう都市中心部の地盤低下が著しく、「路地裏的空間」は絶滅の危機に瀕している。東京を歩いているとこうした「路地裏的空間」が当たり前のようにどこにでも存在する。これこそが盛り場としての東京をいまなお魅力的にしている理由なのだった。