若気の至りを乗り越えて

僕の昭和歌謡曲史

はじめて買ったシングルレコード(いわゆるドーナツ盤)は、クリスタルキングの大ヒット曲「大都会」ではなかっただろうか。財津和夫のソロシングル「WAKE UP」を買ったことも憶えている。この2曲は奇しくも1979年(のおそらく後半)発売で、当時私は小学校六年生であった。
79年と翌80年のヒットチャートを調べてみると、この2年は、私の歌謡曲についての記憶が残るきっかけとなった“黄金の二年間”であることがわかった。
79年にはたとえば、「いとしのエリー」「関白宣言」「燃えろいい女」「YOUNG MAN」「銀河鉄道999」「ガンダーラ」「きみの朝」「チャンピオン」「夢去りし街角」「魅せられて」「夢想花」。
80年には「ダンシング・オールナイト」「順子」「哀愁でいと」「贈る言葉」「ランナウェイ」「さよなら」「昴」青い珊瑚礁」「TOKIO」「秋止符」「異邦人」「恋」「狂った果実」「不思議なピーチパイ」「南回帰線」「SACHIKO」など、思い出すと涙が出てくるほど懐かしく、またいま思えばこれらが二年間でとびっくりするほど集中的に、たくさんの名曲が生み出されている。
アリス・さだまさしオフコースといったニューミュージック系への関心と、80年以降の田原俊彦松田聖子にはじまるアイドルブームへの興味がちょうどない交ぜになった時期で、『平凡』『明星』の付録だった「歌本」を何度もめくり返しては歌詞をおぼえることに夢中になった。
とくにアリスには執着していて、箒をギター代わりに、アポロ・キャップ(なんていまは言わないんだろうなあ)を目深にかぶり、ひげをつけ、谷村新司堀内孝雄になったつもりで、小学校の友人たちと「偽アリス」を結成して唄ったりした。
「チャンピオン」のような激しい曲も、「秋止符」のようなしっとりした曲も好きだった。「南回帰線」を唄うときには「あーりがとぅ」と叫び、「冬の稲妻」では「You're rolling thunder」のあと「ハァーッ」と胸の底から絞り出すようなうなり声をあげた。
竹内まりやの「不思議なピーチパイ」は、カセットに録音して何度も繰り返し聴いていたら気分が悪くなった。いまでもたまに「不思議なピーチパイ」を聴くとあのころの吐き気がよみがえってくる。なぜ吐き気に襲われたのか謎だ。たんに「ピーチパイ」という食べ物が想像できなかったからなのかもしれない。
サザンのデビュー曲「勝手にシンドバッド」は土曜夕方だったか、テレビのバラエティ番組(どんな番組だったかは忘れた)のおしまいのほうにあった新人グループが曲を披露するようなコーナーで初めて見たように記憶している。桑田佳祐がスタジオ狭しと動き回りながら唄い、歌詞がよく聴き取れなかったことが衝撃だった。
とこのように、記憶力がいいとはいえない私ですら、歌謡曲にまつわる思い出をあげるときりがなくなる。こういう思い出が、記憶力抜群で、しかもコレクション癖のあるマニアックな人によって語られるとどうなるのか。泉麻人さんの『僕の昭和歌謡曲史』*1講談社文庫)はその好例である。
泉さんは私より11歳年長の1956年(東京)生まれ。本書は1961年発売の坂本九上を向いて歩こう」から1989年1月(昭和が平成にかわった直後)発売の美空ひばり川の流れのように」まで、その時々に泉さんの記憶と結びついた歌謡曲を取り上げ、少年時代・青春時代から就職・ライターとしての独立までの時期を振り返った、“歌謡曲でつづる半自伝”のような読み物である。
私のはっきりした記憶と重なるのは、1971・72年あたり、南沙織郷ひろみの曲が取り上げられる部分以降、本書のちょうど後半部分のみである。
さすがにマニアックな泉さんだけあって、歌そのものだけでなく、歌い手の思い出やそれを取り巻く歌謡界の流れ、それらが受け入れられた時代の気分が微細にとらえられている。また歌い手の特徴を踏まえて、その歌を文章だけで表現しようとした努力には敬意を表する。
その記憶を共有する者にとっては、まさにその文章でメロディと歌い方がよみがえってくるのだから、文章表現の巧みなことがわかるだろう。
たんに記憶力だけでこれほど事細かに時代の気分を再現するのは至難のわざだ。泉さんの驚くべき収集保存癖がそれをカバーしている。単行本になったときに「ボーナストラック」として追加された曲の「ジャケ写」は泉さん所蔵のものとのこと。
また、大学生になって中古車を親から買ってもらい、そのなかで聴くためのカセットテープを自ら選曲して録音する。

僕は当時“広告コピー”の世界に興味をもっていたので、各カセットに〈助手席の窓を開けたら、海の匂いがした〉とか〈ときにはFEN気分〉とか、出来そこないの「ポパイ」の見出しみたいなタイトルを付けていた。(「木綿のハンカチーフ」)
このほか〈リクルートカットの夏……〉と名づけたテープの一曲目には、サザンの「勝手にシンドバッド」が入っていたという。「……」の部分が微笑ましくも恥ずかしい。これらの自作テープはおろか、子供の頃に作っていたという「架空のベストテン」のノートも保存しているというのだから恐れ入る。
ところで僕は当時、オリジナルの“歌謡曲ベストテン”を大学ノートに記していた。TVの歌番組のランキングや、深夜のラジオでのリクエストの頻度などを、自分なりに分析、集計したもので、毎週土曜日に記録することになっていた。(「17才」)
僕はオリジナルのベストテンを作って、それに架空の得票数を入れて、圏外上昇曲のランクを作って、視聴率まで書いていた(笑)。(金子修介氏との巻末対談「僕たちは歌謡曲が好きだ!!」)
こういう子供の頃の作ったものは、たとえ保存していたとしても恥ずかしくて見返したくない。ましてや公表するなどとんでもない。誰にだって「若気の至り」はある。でも若気の至りということで済ましてしまい、それ以上の記憶を封印してしまいたい、そんな感情が一般的なのではあるまいか。
泉さんのすごいのは、このような品々を、他の雑誌や新聞などの記事と同じく資料として扱ってしまえるところにある。本書は、もはやれっきとした昭和後半を語る社会風俗史の本として、古びることはないように思われる。