團菊じじい

昨日まで歌舞伎座では「團菊祭」と銘打たれた興行をやっておりました。團菊とは申すまでもなく歌舞伎の二大名跡市川團十郎尾上菊五郎のこと。毎年五月の歌舞伎座では当代のお二人を中心に、いわゆる「菊五郎劇団」中心の座組でこの「團菊祭」が開催されているわけでございます。
「團菊祭」は「だんぎくさい」と呼ぶようです。夜の部追い出しの「かっぽれ」で司会されていた團蔵さんがそうおっしゃっていました*1
今年2003年はわけても特別な年でありまして、そもそも「團菊」と並び称されるきっかけとなった明治の名優九代目團十郎と五代目菊五郎1903年(明治36)に亡くなりましてからちょうど百年目にあたっております。今年の團菊祭では、歌舞伎座に入ると正面に九代目と五代目の胸像がすえられ、興行もご両人の「没後百年」を冠したものになっております。
ところで團菊といえば、これに由来した「團菊じじい」という言葉がございます。九代目と五代目の芸があまりにも素晴らしかったために、「あの二人の芸が一番だった。いまの役者はなっておらん」と團菊の至芸を知っていることを誇って現在の歌舞伎をこきおろすような「通」ぶった人をこう呼びます。
広がって「昔はよかった」式の話をする年配の方もそう呼ばれるようになりました。「じじい」とありますが、こういう人種に「ばばあ」はいないもんなんですかね。不思議なものです。
私は歌舞伎をお行儀よく真面目に観ているせいか、隣にすわった見知らぬおじさんに話しかけられることがまれにございます。このおじさん方は、私の知らない時代の歌舞伎の話を聞かせてくださるので、私としても「はあ、なるほど」と相づちを打ちながら神妙に拝聴することにしております。
ところが先日隣同士になったおじさんはちょっと「團菊じじい」の気味があって、お話を拝聴しながら困ってしまいました。
ちょうど「髪結新三」と「かっぽれ」の間の幕間に話しかけられまして、昔の二代目松緑の新三、梅幸の忠七、中車・先代幸四郎の弥太五郎源七、故羽左衛門の大家がいかに素晴らしかったか、それにくらべて当代菊五郎の新三がいかに見劣りするかを力説されました。
昔の松緑の新三が素晴らしいので、とても今回の新三に拍手をする気にはなれないとまでおっしゃられていました。
そのおじさん、「かっぽれ」が始まり、松助さんの綾小路きみまろならぬ“綾小路マシュマロ”が登場して、メジャーリーガーの打者三人に扮した役者さんを招き入れた瞬間、突然席を立って帰っていきましたよ。その背中には「何だ、つまらねえ、こんなのは歌舞伎じゃねえ」という文句が書かれてあるかのようでした。
そりゃあ当代菊五郎の「髪結新三」にご不満の方にとっちゃあ、あの「かっぽれ」は我慢ならないに違いないですわな。
でもねおじさん、と私は思うのです。
昔の役者さんたちがたとえいまとは比較にならないほど素晴らしかったとしても、私はそれを知らない。私は当代菊五郎の新三こそが至芸だと思って観に来ているのです。
私のような若い世代の歌舞伎好きとしては、その良かったと言われる芸を、いまの役者さんがどう受け継いで次の世代に伝えていっているのか、それをときには厳しいまなざしで見つめながら歌舞伎を支えていく、そうすることしかできないじゃあありませんか。
「かっぽれ」での楽しい余興を見終えたとき、私は心を込めて拍手をおくりましたよ。これまでにないくらい力を込めて。この舞台に立っている人たちが私に歌舞伎の楽しさを教えてくれているのですから。
戒めなければならないと心に誓ったことは、数十年経って歌舞伎座に行ったとき、隣にすわった若い人に「先代菊五郎の新三、先代田之助の忠七、先代左團次の大家は素晴らしくて、とてもいまの菊五郎の新三は見ていられない」などと知った口を聞かないようにすることでございます。

*1:密偵おまささん(id:mittei-omasa)のご教示によれば、音羽屋は「だんきくさい」と濁らないとのことです。決まった発音はないのかもしれません。