山本周五郎の探偵小説

寝ぼけ署長

山本周五郎さんの『寝ぼけ署長』*1新潮文庫)を読み終えた。山本周五郎という作家を時代小説作家だとばかり思っていた私にとって、本書の存在は驚きだった。
本書のもととなった短篇連作は、戦後すぐの昭和21年『新青年』に連載された。『新青年』といえば探偵小説の牙城である。そこに覆面作家として連載が始められたという遊び心満点の仕掛けがたまらない。当時の編集長横溝武夫(横溝正史の異母弟)が探偵小説嫌いの山本周五郎ファンだったという。山本周五郎覆面作家としてこうした作品を発表したのも、この編集長の個性があったからこそなのだろう。
いま触れたようなエピソードは、文庫版にある中島河太郎氏の解説に拠っている。解説が中島河太郎氏であることも嬉しい。
このとき山本周五郎は43歳。数年前に『日本婦道記』連作が直木賞に推されながら辞退している。すでに名をなした中堅作家が、余技のように書いた良質な探偵小説があって、それをいま文庫本で読むことができるのは幸せだ。
さて主人公の「寝ぼけ署長」こと五道三省の風貌はこんなふうに描写されている。

年は四十か四十一だったでしょう。たいへん肥えた人で肩などは岩のように盛上がっていました、顎の二重にくくれた、下腹のせり出した、かなり恰好の悪い躯つきです、細い小さな目はいつもしょぼしょぼしているし、動作はなんとなくかったるそうだし、言葉はたどたどしくてはっきりしないし、全体として疲れた牡牛といった鈍重な感じでした、……(9頁)
ところがひとたび事件が起こると、弱気を助け強気を挫くという持ち前の熱意で動き出し、ぴしゃりと悪を懲らしめる。署長が署を去ることがわかると、市民(とりわけ低所得者層)の離任反対運動が起こるほど市民の尊敬を集めた。
物語にはトリッキーな仕掛けがあるわけでなし、凄惨な事件があるわけでもない。文章自体は上に引用したように、署長の下で奔走する部下が書いたというスタイルの「ですます体」をとっているため、熟読玩味するような滋味に欠ける。むしろ論理性とは対極にある、芝居がかった大時代的な筋の運びを楽しむべきなのだろう。
ヒューマニスティックな視点で人間の悪をえぐり出すという点では、「十目十指」は、中世以来連綿と続く差別問題の構造を暴き出し、背筋が凍りつくほど見事な切れ味だった。