小林信彦の季節

最良の日、最悪の日

たぶん今後この4月・5月は「小林信彦を読む季節」になってゆくのだろうなあと思う。去年もそうだった。
週刊文春』連載のエッセイ「人生は五十一から」の最新刊『にっちもさっちも』(文藝春秋)を読んだことは先日書いた(2003/4/30条)。今回、同シリーズの第二弾、今月の文庫新刊『最良の日、最悪の日』*1(文春文庫)を読み終えた。本書は1999年一年間の連載分をまとめたものだ。
『にっちもさっちも』では何度もインフレの恐怖とアメリカ・ブッシュ政権への懸念が語られ、先日引用した一節にもあるように、文章の端々に絶望感が見え隠れしていた。
『最良の日、最悪の日』を読むと、最新刊に見られるような閉塞感はそれほど大きくない。日本の総理大臣はまだ小渕さんの時代で、むろんそのころも不況だったわけだが、それから四年経ってもいっこうに上向きにならない景気と、悪くなるいっぽうの社会状況にうんざりしてしまったのだろう。
本書『最良の日、最悪の日』で印象深いのは、〈志ん朝三夜連続独演会〉のぜいたくを語った文章だろうか。十年間続いた独演会のうち、後半五年間毎年見続けたぜいたくが、おいしいものを食べた後の満足感を語るように綴られている。このことはあるいは別著『名人』(朝日選書)でも触れられているのかもしれない。
日本の天気予報の当たらなさを痛烈に批判した「予想屋たち」も面白い。真面目に根拠をあげて天気予報批判をしているところなど、この頃はまだ小林さんも元気だったのだなあと思ってしまう。
批判といえば、サマータイム導入に対する批判も痛烈だ。戦時中・戦後の自らの体験をもとに、断続的に三回にわたって批判を展開している。インフレ批判・戦争批判もそうだが、そういう状況で迷惑したことを知らない世代の人間が舵取りをすることへの恐怖感が繰り返し語られている。
これとは逆に、山本夏彦さんの話を引用しながら、戦中の子供たちが戦争(空襲が始まる前まで)を明るく楽しいものと感じていたと自らの実感を語る「〈戦中〉の話をしようか」も、一方的な史観を押しつけられている私たちにとって興味深い。
たまたま古本屋で小林さんの長編『ぼくたちの好きな戦争』(新潮文庫)を見つけたので購入した。いま少し小林さんの季節は続きそうだ。