売り声の懐かしさ

江戸売り声百景

私が少年時代を過ごした70年代には“物売りの声”はほとんど聞かれなくなっていた。もっともこれは田舎の郊外住宅地だったからということもある。物売りの声をあげながら路地の奥まで入り込むような商売は人の多い都会でこそ成り立つというものだろう。
とはいえ物干し竿・金魚・豆腐などの売り声は耳に残っている。ただこれらの場合、物干し竿はテープを流しっぱなしの車による販売が今でも行なわれているし、豆腐は売り声というよりラッパだ。金魚は実際に聞いたのではなく、テレビなどで耳にしたのに違いない。
最近こうした売り声の「懐かしさ」というものを敏感にとらえるようになってきた。実体験をともなわずとも懐かしさを感じる感性については、川本三郎さんが見事に文章化されている(『はるかな本、遠い絵』角川選書、2002/5/6条)。
先日見た成瀬巳喜男監督の「稲妻」では、シーンの変わり目ごとの冒頭に、路地を歩く物売りを何人か歩かせていた。種類の異なる物売りを歩かせることで、季節感や一日の時間などを象徴的にあらわす意図があったのだと思う。
いまや聞かれなくなった物売りの声は、藝として細々と息づいている。物売りの声を藝とする宮田章司さんがこのほど『江戸売り声百景』*1(岩波アクティブ新書)という著書を出された。
著者宮田さんは昭和8年北千住生まれ。もともとは伴淳の劇団を経て宮田陽司・章司というコンビ漫才などをやっていた芸人さんで、あるとき大道芸の大家坂野比呂志から藝を継いでくれるよう懇願されたという。
本書にも書かれているが、売り声というものはそれを知らぬ若い人間がたんなる真似事でやっても表面的で、たぶん懐かしさは伝わらない。宮田さんにとって売り声は生活の一部として頭に刻まれているのだ。しかも東京育ちの藝人さんで、彼以上の適材はいなかったというわけである。
本書は著者の少年時代から、売り声を藝にする以前の芸人時代の回想、売り声による一日の推移と季節の推移、ラップとしての売り声のリズムの良さなどが生き生きと談話体で語られている。
しかも嬉しいのはミニCD付き。新宿末広亭における宮田さんの高座の音源が収録されている。聞いていると向こうから売る人が歩いてくるかのような臨場感あふれるライブだった。