松本清張と武蔵野と泉麻人

黒い福音

今回の夏休みの帰省では、そこそこ分量のあるミステリを携えていったのが良かったようだ。夏バテで食が進まないとき、辛味や酸味によって食欲を増進させるように、定評のある、あるいは好きな作家の未読作品は、ともすれば暑くて活字を追うことが面倒になってしまう時期にもってこいだった。一篇一篇が短いエッセイ集(好例が夕刊フジ連載物)もたしかに悪くないが、ひとつ読むたびにひと息入れてしまい、そのまま読みつぐことを億劫にさせてしまう。
持参したうちの一冊が、松本清張の長篇『黒い福音』*1新潮文庫)である。一昨年6月、恒例の重版を機会に購ったものだ。そもそも本書は、宮田毬栄さんの『追憶の作家たち』*2(文春新書)がきっかけで気になるようになった。同書が新刊で出た直後に読んでいるから(→2004/3/21条)、その数か月後に重版されたのは(わたしにとって)グッド・タイミングと言うべきだろう。
宮田さんは中央公論社の編集者で、『海』の編集長を務めた方でもある。その宮田さんが1959年の入社直後に配属されたのは創刊されたばかりの週刊誌『週刊コウロン』であり、その担当が連載長篇である「黒い福音」だったという。
『追憶の作家たち』の第一章が松本清張であり、新人編集者たる宮田さんが「黒い福音」のために行なった取材活動が回想されている。この作品は杉並の善福寺川辺で起きたスチュワーデス殺しがモデルとなっている。容疑者は近隣にあるキリスト教教会の神父だったが、警視庁が決定的証拠をつかめず手をこまねいているうちに出国してしまい、未解決に終わったという、戦後日本の国際的立場の弱さを露呈した事件である。
神父が所属していた教会は、裏で輸入物資の闇取引などにより資金をたくわえ、日本において勢力を拡張しつつあった。日本の警察は事実をつかんでいながら、あたかも治外法権によって阻まれたかのように教会に捜査のメスを入れることをためらい、結果的に犯人逮捕に失敗した。松本清張はこうした状況に我慢ならなかったのだろう、その年に起きたばかりのスチュワーデス殺しを小説に仕立て、その犯罪に対するひとつの答えを示した。
固有名詞は地名に至るまですべて仮名になってこそいるが、事件を知る人にとって、宗派名や教会名はもとより、容疑者名を容易にあてはめることができるようになっている。中島河太郎さんによる解説ではそれぞれのモデル名が明かされているし、だいいちその年に起こった有名な殺人事件の小説化だから、当時の人にとっては仮名にするまでもなかったに違いない。形こそ小説だが、直後の『日本の黒い霧』(1960年)のようなノンフィクションに通じる色合いの、読みごたえのある長篇だった。
二部構成になっており、第一部は神父が恋人だったスチュワーデスを殺害するまで、第二部は捜査によって神父・教会が追い詰められ、結局それをかわすまでが描かれる。第一部では、清廉なはずのカトリック教会が裏では「黒い取引」によって私腹を肥やすさま、女性との交際を禁じられ、禁欲的生活を強いられているはずの神父が、若さゆえの性欲を抑えきれず女性におぼれ、結果的に身の破滅を招く様子が克明にたどられる。
対する第二部では、警視庁の敏腕刑部と特ダネ取材に意気込む新聞記者の足を使った取材活動により、少しずつ真相が明らかになる過程が描かれる。映画になりにくいテーマではあるが、もし映画にすればということで配役を考えると、刑事は宮口精二、新聞記者は佐田啓二あたりが思い浮かぶ。「張込み」や「最後の切札」の観すぎか。
ストーリーと同じくらい印象的だったのは、舞台として描写される武蔵野の風景だった。殺害現場は荻窪近くの善福寺川沿い、教会は西武新宿線の下井草近くにあったらしい。物語の出だしは「東京の北郊を西に走る或る私鉄は二つの起点をもっている」という一文から始まる。西武鉄道ということだろう。

この二つの線は、或る距離をおいて、ほぼ並行して、武蔵野を走っている。東京都の膨れ上がった人口は、年々、郊外へ住宅を押し拡げてゆくから朝夕は住居区で混み合う。/しかし、二つの線の中間地帯は、賑やかな街にもなりきれず、田園のままでもなく、中途半端な形態をとっている所が多い。
殺害現場となる荻窪駅(小説ではO駅)南の風景。
この地域はかなり大きな邸ばかりが集まっていた。長い塀が続き、ところどころに雑木林が挟まっている。塀はコンクリートだったり、杉の生垣だったりした。どの家も植込みが深く、屋根はその奥に引っ込んでいた。
(…)住宅街は、昼間でもあまり人通りがなく、奥まった部屋からは、ゆるやかなピアノの練習曲が聞えたりする。夜になると、ほとんどの家が、闇の中に沈んで、めったに自動車も走らなかった。(362-63頁)
この地域のこととなると思い出すのは泉麻人さんだ。泉さんはまた、昭和30年代の社会風俗という観点からも松本清張作品に関心を寄せている。本作品のことに触れられていないか著書を調べてみたら、ずばり遺体発見現場と教会の写真が掲載されている本があった。『東京自転車日記』*3新潮文庫)である。
急性肝炎で入院した泉さんは、同室の男性からスチュワーデス殺しと『黒い福音』のことを教わり、新聞縮刷版をあたって事件記事を確かめている。泉さんらしいのは、遺体発見現場が頭のなかの場所の記憶と一致したとき、その場所で一年前に見たテングチョウという都内でも珍しい蝶を思い出したこと。さらに、その現場から2、300メートル上流にある公園が、若乃花花田勝氏)が美恵子夫人(職業スチュワーデス)にプロポーズしたニュースを結びつけていることだろう。
『黒い福音』の、武蔵野の風景を描いた文章をふりかえり、さらに泉さんの善福寺川サイクリングの記を読み返したことで、武蔵野歩きへの憧れが生じた。『黒い福音』現場めぐり。涼しくなったらぜひ実現したいプランである。あのあたりにレンタサイクル屋があれば、さらに望ましいのだが。