映画監督が見た京都

京の路地裏

職業柄京都に出張におもむく機会は多いのだけれど、最近は“北方志向”で東北地方にばかり目が向いてしまい、ここ一、二年足が遠ざかっている。ひさしぶりに京都に行くのもいいなあ、映画監督吉村公三郎さんのエッセイ集『京の路地裏』*1岩波現代文庫)を読んでそう思わずにはおれなかった。
吉村さんは近江生まれ。しかし父親の職業の関係で住所を転々とし、東京や広島、そして幼時には京都にも住んだ。「京都人」だったことがあるのだ。映画の世界に入ってからも京都に滞在する機会は多い。監督になってからは定宿もある。京都弁も喋ることができる。
京都弁を話せるから、「京都人」にとってはよそ者に見られない。かといって観光客のような純粋な外部の人間ではない。そんな独特の立場から、鋭い観察眼を光らせる。さすが映画監督と言うべきか、この本を読んで、吉村さんの観察眼、いや眼だけでない、京都の町、京都の人に対する五感を働かせての観察の鋭さに感じ入った。

 京都人のよそ者に対する態度には三段階ある。
 はじめはとても愛想よく、あたり柔らかく接してくれる。そのうちにひどく冷たい薄情さを感じさせる。しかもこせこせしている。
 たいていのよそ者にとって、ここで京都のにんげんはいやらしいということになる。しかしさらに深くつき合いを続けると、他の土地では見られない義理人情のこまやかさのあることに気がつく。とても親切である。(40頁)
親交のあった歌人吉井勇と京都のかかわりを通して京都人のよそ者に対する接し方を喝破する。吉井勇といえば、数ヶ月前平凡社ライブラリーに入ったエッセイ集『東京・京都・大阪―よき日古き日』*2が買ったままになっていることを思い出した。新潮文庫リバイバル版だったか、古本で購った『吉井勇歌集』も積ん読の山の下に埋もれている。吉井勇を読みたくなった。
さて、吉村さんの京都観察の話に戻る。京言葉の独特のありようや、微妙なニュアンスを細かく分析した「京ことば」、情熱的でちょっと意地悪な京女の性格をリアルに写した「京おんな」、京都人の吝嗇ぶりを実体験や見聞を織り交ぜながら畳みかけるように描いた「シブチン」など、これら文章で取り上げられた京都人の様子は、いずれも文章から映像が立ち上がってくるほどに視覚的で、映画の一齣に取り入れられているのではないかと思うほど、活き活きとしている。
「シブチン」の一番最後に紹介されている、シブチンながら世間体を異常に気にする京都人の一面には、失礼ながら笑ってしまった。
「生きているうちは、そんなに大事にしてもらわんでもよいが、死んだら葬式だけは出来るだけ立派にしてくれ」と遺言する年寄りもいるそうである。
 すべて世間への見てくれを気にするせいだろう。(128頁、太字部分は原文傍点)
祇園祭で御輿が御旅所に安置されている最中、人びとはそこにお詣りをして商売繁盛を祈る。そのさいの作法。
 神様の出張所の御旅所へお詣りする人は、家を出るとまず東山の方へ向かって本店の方へ柏手を打ち、それから御旅所へ出かける。
 この往き帰りに知った人に出会っても挨拶したり、笑いかけたり、話し合ったりしてはならない。戒を破ると御利益がなくなってしまう。だからこれを「無言詣り」といっている。一般の人達はどうかしらないが、祇園先斗町の水商売の人達の間では今でもこのしきたりが守られているようだ。(48頁)
こんな俗習が書きとめられているのを見て、三島由紀夫の「橋づくし」を思い出した。三島の短篇は銀座だったか新橋だったかの芸者連が同じように無言で銀座・築地の橋を渡り終えれば祈願成就するというものだった。もとは京都の風習なのだろうか。
「京の店と物売り」の章では、大原女のような京都特有の行商や、一般的にもある(あった)豆腐売り、羅宇屋など流しの物売りの風俗が細かく記録されている。個人的には、薬の行商に触れられたくだりで、「私達子供の関心を集めた」として紹介されている「オッチニの薬」売りの話が興味深い。
吉村監督の「足摺岬」を観たとき、殿山泰司扮する「オッチニ(オイチニイ)の薬売り」に関心を持った(→2005/9/9条)。本書を読むと、もともと原作に登場していたらしいのだが、監督はこれを自らの体験に基づき、正確に再現しようとしたらしい。「もうその当時、オッチニの薬屋はなくなっており、九州の長崎に一人だけ残っているのが、グラフ雑誌に紹介されているくらいだったから、扮装をととのえるのに苦労した」(100頁)とある。好きな映画の好きな場面について、その裏話を知ることは嬉しい。
京都という町の空間を路地で語り、また食の豊富さについて絶賛する。監督仲間の清水宏を例に、「京都で食って死ね」という言葉を出す。たしかに吉村さんが書く京都の食の話を読んでいると、思わずごくりと唾を飲み込んでしまったのである。