第83 上野の看板建築・煉瓦造建築

新版 看板建築

「平成日和下駄」として書くのは4ヶ月ぶり。前回5月末の荻窪歩き以来である(→5/28条)。記録にとどめなかったことが、実際あちこち出歩く機会がなかったことを反映している。といっても今回の記録が「出歩く」ことにあたっているかと言えば、必ずしもそうとは言いにくい。
上の子供の運動会があった。小学校に入って最初の運動会であり、足の速い人が選ばれる対抗リレーの選手になったということもあり、何日も前から張り切っていた。天気もまあまあで安心する。
妻は弁当の準備や下の子供を連れていく都合から、平日同様わたしが送っていく。8時10分まで登校であるが、これは運動会の日に限らず毎日そうだから、とりたてて早いというわけではない。いつもはそのまま出勤するのだけれど、今日はそうではない。父兄が入場できるまでにあと30分ほど待たねばならない。どこか早くから開いている喫茶店に入り時間をつぶすにしても、中途半端であるし、わたしはそういう時間のつぶし方が苦手だ。
運動会の日に限り出入りできる門の前には、有名ラーメン屋のような行列がすでにできていた。そんなことまでして場所取りに力を入れたくないので、行列を横目に見て、土曜早朝の学校界隈を散歩することにした。
これにも理由がないわけではない。先日、宅配便を出すため仕事帰り職場近くにある運送会社の配送センターに立ち寄った。そのままそこから本郷台地を不忍通りへと下りて行くことにしたのである。下った道は三組坂だった。
不忍通りに出て地下鉄入り口へむかう途中、通りの向こう側(西面)に、実に風情のある看板建築を見つけたのだ。これまでこのあたりはあまり歩くことがなかった。不忍通りという大通りに面し、しかも子供が通う学校のすぐ近くにあったことで、このあたりを歩けばまだまだ面白い建物があるのではないか、歩こうと思えばすぐにでも実行できる、そんな気持ちになっていたのである。
「このあたり」というのは、台東区上野一丁目から千代田区外神田六丁目あたりの、不忍通りと中央通りに挟まれた区域を指す。そこでこの中途半端な時間ができたのをいい機会に、開場時間までうろうろ歩き回って時間をつぶすことにしたのである。今回のレポートはその報告ということになる。
最初に目指したのはもちろん看板建築。看板建築とは、この言葉を聞いてイメージするような、緑青の具合も時間の古さを感じさせるような銅板貼り建築だけを指すものではない。この概念の名付け親藤森照信さんの『新版 看板建築』*1三省堂)によれば、ファサードが平坦な木造の店舗併用住宅の総称である。ファサードは銅板貼りのほか、モルタル塗り、タイル貼りなど様々ある。不忍通りの看板建築はモルタル塗りの仕様である。
面白いのは、ここの看板建築は個別(一戸建て)ではなく長屋風になっており、同じ間口の店舗が五軒と、その北隣に細い路地を挟んで二軒並んでいることだろう。ファサードは統一されたデザインで、最上部に波形の意匠がしつらえられ、二階の窓の上部には、店舗ごとに違ったデザインのオブジェが取り付けられている。
こうしたモルタル造りのオブジェについては、前記『新版 看板建築』でも注目されている。これらはたいてい素人の画家や施主、大工の棟梁が自ら描いて作り上げたものだという。今回はひとつひとつのデザインを確かめてくることまではしなかったのが残念である。今後の課題にしよう。
統一的なデザインで同じ間口の店舗が長屋風につながっている建物としては、神保町にある奥野書店、三鈴堂眼鏡店の建物が有名だが、残念なことに奥野書店の建物は取り壊されてしまい、一部が欠けてしまった。この不忍通りにある2+5の看板建築は、元来もっと多くの店舗が連なっていて一部が壊されたのか、当初よりこのかたちだったのかわからないが、これだけ多くの店舗が連なる長屋風の統一的デザイン看板建築としては貴重なのではあるまいか。

不忍通りから一歩奥に入ると、またしても「これは」と思わせる建物が目に入った。周囲の近代的オフィスビル群からひときわ目立ち、異彩を放っていたのは、煉瓦造りの建物である。震災にも、戦災にも焼け残ったものなのだろうか。内部は改装されバーになっているとおぼしいのだが、いまも営業しているかわからない。ウェブを調べてみると、“Kai-Wai散策”というブログに風情のあるレポートが書かれてある。

看板建築あり、煉瓦造建物あり。期待していたとおり、このあたりにはところどころに興味深い建物がまだ残されていた。煉瓦造建物のはす向かいには、出し桁造りの日本家屋があるほか、その少し先から入る路地には、銅板貼りの民家が二つ建っていた。けれども、民家の前に行くと「共同住宅建設予定地」という立て看板があり、近く取り壊されるらしい。

いまの目で見れば銅板貼り建築(これは商家でないから看板建築とは言いがたい)は珍しいものの、震災後の東京ではごく普通の民家のつくりがそうだったのだろうから、これらまで目くじらを立てて「保存!」と叫ぶつもりはない。でもせめて、煉瓦造建物と看板建築はどうにかならないものか。看板建築は見てみるとうどん屋として現役中の店舗もあるようだが、大半は店を閉じてしまっているとおぼしく、生活感がなかった。不忍通りという大通りに面しているゆえ、いずれ消え去る運命なのだろう。
せいぜい30分ほどの散歩だったが、目を楽しませ、心を豊かにさせる、いい時間となり、それからの運動会見物のいいエネルギー補充となった。