吉田健一モード

ユリイカ2006年10月号

大学生協書籍部の雑誌コーナーに『ユリイカ』が積まれてあって、その表紙が吉田健一の笑顔だったのを認めた瞬間手に取り、そのまま購入してしまった(10月号*1)。『ユリイカ』を買うのはしばらくぶりのことだ。先日坪内祐三さんの『考える人』*2(新潮社、→9/23条)を読み、吉田健一に心を動かされていた矢先でもあり、個人的にはタイムリーな特集だった。
吉田健一的タイムリーと言えば、最近、わたしの頭を“吉田健一モード”に方向づけためぐり合わせがいくつか重なって起こっている。
まずは先日の自民党総裁選。と、これを聞いただけで吉田健一が好きな人は「ははあ」と推測がつく単純なつながりで恐縮だが、安倍晋三氏に敗れたけれども二位に健闘し、外務大臣に留任が決まった麻生太郎氏。麻生さん(吉田健一は「さん」付けするほどの距離感がないけれど、以下麻生太郎氏については敬意を込めて「さん」付けにする)は吉田茂の孫だから、吉田茂の長男吉田健一にとっては甥にあたる。
わたしはたんにそれだけの理由で、三人のなかでは断然麻生贔屓だった。血縁というだけでなく、あの口元のゆがんだ感じやそこから飛び出すだみ声も安倍・谷垣のスマートさにくらべすこぶる魅力的である。
ユリイカ吉田健一特集の中ほどにある「世紀末ダンディーの肖像」と題されたアルバムには、彼の写真がたくさん収められている。そのなかに妹の麻生和子さんと二人笑顔で写った写真が一葉あって、これを見た瞬間嬉しくなった。
もちろん麻生和子さんは吉田茂の娘であり、麻生太郎さんの母上にあたる。その和子さんのお顔が、目尻の下がり具合といい、口元(ゆがみ具合でなく、歯のあたり)が太郎さんとそっくりなのだ*3
これまで吉田健一麻生太郎という伯父甥は、雰囲気として似た感じはあるものの、顔はあまり似ていないなあと思っていたのだけれど、『ユリイカ』の写真で和子・健一の兄妹が並んでいるのを見れば、けっこう目元などが似ている。吉田健一麻生和子兄妹が似ており、和子・太郎母子が似ているのだから、吉田健一麻生太郎だって、似ていなくもないだろう(三段論法としては粗雑すぎるか)。
先日秋田県北部に出張におもむいた。大館という町に行ったのだが、東京から「こまち」に乗り4時間の秋田市からでも、特急でさらに1時間30分以上かかる。大館のほかにも用務先があったので、背に腹は代えられず、やむなく飛行機で行くことにした。大館能代(秋田北)空港着の便である。幸い早くから日程を決めていたので、料金は新幹線より安い。これならば時間のかかる新幹線より、諦めて飛行機に乗るべきだろう。
「諦めて」などという言葉を使うのも、飛行機が好きではないからだ。だいいち落ちたらおしまいではないか。そんなことを考えるととても乗る気にならない。やむをえず乗ることになっても、離陸着陸時にはただ天を仰ぎ、全身じっとりと脂汗をにじませながら我慢する。
片道を一回と数えると、これまで飛行機に乗ったのは5回あり、今回の往復(帰りは秋田空港から飛行機を使った)で6回目、7回目となる。結果的に言えば、飛行機もだいぶ慣れてきたと言えるのだが、やっぱり離陸のときにかかるGの感覚があまり好きではない。これでは戦闘機などとても乗れない。しかも行くときは気流の関係でけっこう揺れ、窓に頭をごつんとぶつけた。
なぜこんな恥ずかしい飛行機体験を書いたかと言えば、この体験も“吉田健一モード”と無関係ではないからだ。大館能代行きの飛行機に乗っているとき、恒例の機長アナウンスがあった。その声が麻生太郎さんそっくりだったのだ。だみ声のアナウンスを聞いた瞬間、パイロットの制服を着てコクピットに座る麻生太郎の姿を想像し、「ああ、この人が機長ならば、もうどうなったっていいや」と命を預ける気持ちになったのである。
かくして飛行機嫌いの気持ちを和らげたのも、すべて吉田健一のおかげといっていいだろう。命からがら東京に戻ってきた直後吉田健一の笑顔に接したのだから、その雑誌を買わないわけにはゆくまい。

*1:ISBN:4791701534

*2:ISBN:4104281034

*3:太郎さんの父麻生太賀吉は写真ですら見たことがない。映画「小説吉田学校」での村井国夫のイメージしかない。