超一級の後味の悪さ

「黒い画集 第二話 寒流」(1961年、東宝
監督鈴木英夫/原作松本清張/脚本若尾徳平池部良新珠三千代平田昭彦志村喬宮口精二中村伸郎丹波哲郎荒木道子/小川虎之助

物語は主人公池部良が都銀の池袋支店長に抜擢されたところから始まる。池部と銀行常務平田昭彦は大学の同窓(同期か)で同期入社であるが、先代頭取の息子である平田は副頭取(中村伸郎)一派と行内で勢力争いを演じており、自派の池部を引き立てたのである。
池部が前支店長と引き継ぎを終え、得意先に挨拶回りにでかける。大口得意先の一つが、女手一つで料亭を切り盛りしているやり手の女将新珠三千代(美しい!)であった。増築のため融資を願い出る新珠と支店長池部の仲は急速に縮まり、やがて男と女の関係になる。
ここに上司である平田昭彦が割って入る。彼の女性関係の後始末を池部がつけることもあったほどの女好きゆえ、池部は警戒するのだが、何せ自分の地位を保証してくれる直属の上司なので口出しできない。
やがて常務という立場にものを言わせ平田は新珠に近づき、都心への支店出店という彼女の野望へ資金融資するという餌をちらつかせ、とうとう新珠は池部に愛想づかしをして、平田に傾いてしまうのである。しかも池部は平田にとって邪魔者になり、宇都宮支店長に左遷されてしまう。
嫉妬にかられた池部は私立探偵宮口精二に平田と新珠の仲を調査させ、これをネタに総会屋志村喬に依頼して平田の失脚を画策する。ところが志村喬と平田は一枚も二枚も上手で、この作戦は失敗してしまう。このとき、東京からわざわざ宇都宮に来て池部に「これ以上常務をいじめないように」と圧力をかけるのが、先日亡くなった丹波哲郎率いるヤクザ集団。この場面が面白い。
池部を上座に座らせ、両側にずらりと組の者たちが居並び、厳かに儀式的な盃を交わすことになる。丹波から一人一人自己紹介せいと言われ、「○○組事業部長の○○です。前科五犯です」などと自己紹介するのである。ひととおり自己紹介がすむと、前記のような脅迫めいた文句が丹波の口から飛び出し、池部もようやく納得し、肯わざるをえない。それから皆で手締めをする。厳かなところが逆におかしさをにじませる。
しかしそれでも収まらない池部は、探偵社を辞めた宮口精二と組んで平田に罠を仕掛けようとするのだが…。そこで重苦しいラストにつながる。
それにしても、池部はこれからどうなるのだという予測のつかないサスペンスは無類のもので、息苦しくてたまらなかった。勧善懲悪のスカッとした主人公の勝利に収まればましなのだが、結局池部は組織の前にみじめな敗北を喫し、組織のなかで自分が「寒流」のまっただ中に置かれてしまったことを自覚させられてしまうのだ。「重役の椅子」のような、組織の管理職の悲哀をユーモアに包んで描き出した佳作を連想していただけに、真逆の展開に意表をつかれた。
こんな身も蓋もない、すこぶる後味の悪い終り方はないよなあと、エンドマークが出てようやく息苦しさから解放されたわたしは思う。でも、これだけ後味の悪い終り方をする映画も滅多になかろうと考えを改めた。だから「超一級の後味の悪さ」は褒め言葉である。もっとも、当分こうした映画を観たいとは思わないが。
松本清張も酷な話を書くものよとしみじみ感心しながら帰途につき、帰宅後積ん読の山から原作「寒流」の入った短篇集『黒い画集』*1新潮文庫)を掘り起こし読んでみて驚いた。原作は映画ほど酷ではなかったからだ。
ストーリーの大筋は変わらないし、台詞も原作にかなり忠実で、そのままと言っていいほどなのだが、ラストが違う。原作は「ひょっとしたら主人公が勝つ?」と思わせるような余韻の持たせ方をして終わるのである。つまりあんなふうに身も蓋もなくしたのは、若尾徳平氏の脚本なのであり、鈴木監督の演出だと考えたほうがいい。
平田昭彦は、権力を笠に着て、地位と女のためなら部下の一人や二人どんなふうになっても構わないという冷酷なエリートを演じてはまり役。この作品のなかで唯一善意を感じるのは宮口精二だけである(転勤が決まった池部に同情を寄せる前池袋支店長でも、所詮組織の派閥争いに執着する人間だ)。