クシャミ・チクショウ考

青べか物語

大きなクシャミを立てつづけに数発かましたあと「チクショウ」「コンチクショウ」と吐き捨てる。威勢のいいおじさんの身ぶりとして類型化されている姿である。こうした風景は、現実的に私の身の回りではただ一度をのぞいて出会ったことがない。
大学時代の友人(群馬出身)がクシャミをしたあと「チクショウ」と呟いたのを聞き逃さず、こんなテレビドラマで見るような仕草を本当にやる人がいるのかと驚いた。これがわが唯一の「クシャミ・チクショウ」体験であった。
クシャミをしたあとチクショウと唱える。これはなぜなのだろう。何かのおまじないなのだろうか。こんなことを考えたのも、青べか物語*1新潮文庫)のなかの次の一節を読んだからであった。

「そんな気のない顔をしないでよ、これからくやしい話になるんだから」と栄子は酒を呷って咽せ、咳きこみながら二つも三つもくしゃみをし、涙と水洟をたらし、それを浅草紙で乱暴に拭いてから、「こんちくしょう」とどなった。二つ以上くしゃみをしたときには、そう云わないと風邪をひくのだそうである。(「毒をのむと苦しい」)
この浦安の俗信では、二度・風邪というバリエーションがある。いずれにしても魔除けのおまじないであるのだ。
これに加えて、クシャミといえば「人の噂」といういまひとつの俗信を思い浮かべる。柳田國男は「クシャミのこと(孫たちへの話)」というエッセイ(『少年と国語』、ちくま文庫版『柳田國男全集22』所収)のなかで、上の二つの俗信(チクショウ・人の噂)についてあれこれと考えをめぐらせている。
柳田は、鼻の穴がたましいの出入り口であると信ずる太古の人びとの存在や、クシャミが「だれとは知れなくてものろわれる相手があり、すなわち、かくれた悪意に対する反撥だということ」といった考え方から、「チクショウ」といった呪言が唱えられるとする。
徒然草』で有名なクサメも同じで、これは「糞はめ」という悪罵の文言に由来するという。チクショウもこれに通ずるわけだ。してみると浦安において呪言の向けられる対象たる風邪は、諸悪が象徴化されたものと言えるのだろうか。