坪内スタイルと歴史叙述

一九七二

この連休後半から読みはじめた坪内祐三さんの新刊『一九七二―「はじまり」のおわりと「おわり」のはじまり』*1文藝春秋)をようやく読み終えた。
いや、「ようやく」という表現はいまの私の気分を必ずしも正確に言い表していない。並行に読んでいる本、外出した時間などを差し引いて空いた時間はこの本の読書に傾注した。それを考えると「一気読み」をし終えたような充足感がある。いま400頁を超える(本書は413頁ある)長編評論で読者をしてぐいぐいと読み進ませるような内容をもった本はそう滅多にない。
坪内さんはこのごろ自らを「歴史家」「文化史家」と称し、本書もまた歴史叙述たることを意識している。第一回に「「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」の年である一九七二年に起きた大小様ざまな出来事を紹介、分析することによって、私は、私の歴史意識を呈示し、一九七二年よりあとに生まれた彼ら彼女らと対話を試みる」とあるからだ。坪内さんが歴史家と自称するのは、同じく歴史を学ぶ人間として嬉しく、歓迎すべきことである。
ただ、本書を歴史叙述と見ると、物足りない点がなくはない。そもそも1972年の歴史的意義が最終的にまとめられていない。「各章を読んでいけば自ずとわかる」ということであれば、たんに私が鈍いだけなのだろう。
また、歴史ということであれば、時代の流れのなかに1972年という年を位置づけるような客観化が不可欠である。前半はそれが強く意識されていたとおぼしい。具体的にはロックを論じたあたりまでだ。
とりわけ連合赤軍のくだりにおける、関係者の証言を多面的に検証しながら取り上げた記述は、ふつう連合赤軍の話だとちんぷんかんぷんで敬遠しがちになる私ですら、強烈な磁力を感じとても面白く読んだ。ところが後半三分の一くらいは、1972年に起きた出来事を記すことに気をとられ、それらの事象の戦後史のなかでの意義付けが等閑視されてしまった傾きがある。
加えて、戦後日本現代史のなかでの1972年の意義と、坪内さんの個人史のなかでの1972年の意義が混在した叙述になってしまっている。どこからが客観的な歴史的意義なのかの境界線が曖昧だった。
もとよりこれが坪内さんの著作の魅力ではある。前著『新書百冊』(新潮新書)の前段階、小学生〜中学生の自分を回想したエッセイという意味合いもある。いずれにせよ歴史叙述としてみれば物足りないところだ。
以前私は坪内さんの『雑読系』(晶文社)を評して、坪内さんの本との向き合い方、読書エッセイとしての叙述スタイルに深い共感を表明した(2003/2/24条)。ところがこのスタイルもまた、坪内さんの魅力ではあるものの、本書『一九七二』にはそぐわない諸刃の剣のような気がする。

私は、早稲田大学中央図書館の雑誌バックナンバー書庫で、当時の『週刊朝日』や『週刊読売』や『サンデー毎日』を改めて次々とチェックしていった。必要と思える記事はコピーしていった。
その内の一冊の表紙を見た時、私の目は、数秒、止まった。そして思わず、表紙からコピーしてしまった。(「第五回 連合赤軍事件と性意識」)
上の文章が『雑読系』のような読書エッセイ(評論)のなかで展開されていれば、臨場感に富んだ筆致である点で全面的な賛辞を贈ったに違いない。ところが本書のようなある程度客観性も要求される歴史叙述のなかに置いてしまうと、冗漫のそしりをまぬがれない。
柄にもなく批判めいた文章を連ねてしまった。本書もまた、良くも悪しくも坪内さんのスタイルが貫かれた魅力的な内容を持った書物であることは間違いない。
坪内ファンの私としては、今後も書き続けられるであろう著作にこの独特のスタイルがどのように展開していくのか、あるいは抑制されていくのか、興味深く追いかけたいと考えている。