中公の謎がひとつ解けた話

さらに『sumus』別冊(まるごと一冊中公文庫)を読み込む。田中栞さんの「中公文庫の書物関係本」という文章を読んで、ある発見をした。長年謎に思っていたことが腑に落ちたのである。
それは中公文庫の「縮刷版」のこと。中公文庫では、自社シリーズである『日本の歴史』や『折口信夫全集』をそのまま文庫化している。版面を見ると一目瞭然であるが、この場合活字を新たに組み直すのではなく、元版をそのまま縮刷するものだ。
…と思っていたら、上の理解が必ずしも正確ではなかったことがわかったのだ。田中さんが「中公文庫に携わった方」からの話として書かれている記述によれば、「縮刷版」は以下のような工程を経て制作されるという。

これらの「縮刷版」は、いずれも新規組み直しをせず、活版印刷のもと版の紙型(印刷用原版を複製するための雌型版)に鉛合金を流し込んで作った鉛版から清刷をとり、それを版下として文庫版面の大きさに縮小したフィルムを作成、オフセット印刷したものだそうだ。
つまり、「縮刷版」とはいっても、紙に印刷された元版の版面を撮影しそのまま縮小したのではなく、いまいちど紙型をもとに作り直すという手間がかけられているということになる。
さて私が長年謎に思っていたというのは、中央公論社から出ている『谷崎潤一郎全集』のことである。谷崎の没後まもなく同社から全28巻の全集が刊行された(1966-70)。大きさは菊判(以下菊判全集と略)。
その後1980年代に入り、同全集は「愛読愛蔵版」として再刊される(以下愛蔵版全集と略)。判型は一回り小さい四六判となり、巻数も二巻増えて全30巻となった。全巻揃いは無理のようだが、この愛蔵版はいまでも新刊として入手可能らしい。私が持っているのもこの愛蔵版だ。
謎というのは、この愛蔵版が菊判全集のたんなる縮小版なのかどうかということだった。菊判全集は活版だった(と思う)。対して愛蔵版はオフセットと推測された。少なくとも活版ではなかった。
菊判は精興社の活字による正字旧かなで組まれている。愛蔵版も印刷は精興社であり、菊判と雰囲気がよく似ていた。とすれば当時の知識で考えられたのは、たんなる縮刷版である、愛蔵版は写植で組み直した、という二つであった。
この謎を解くために、大学の附属図書館にある菊判全集を借り出し、自分の持っている愛蔵版と付き合わせて確かめることもした。結果、単純な縮刷版でもないらしいという判断を下すことができた。
というのも、菊判全集刊行後に「発見」された作品が愛蔵版に収録されているからである。それらは補遺というかたちではなく、あるべきところ(谷崎全集は原則作品発表順に並べられている)に収められている。単純に縮刷をしただけならば、こういうわけにはいかないだろう。
愛蔵版になって二巻増えたのは、書簡の部分である。これも他の小説・随筆などの巻における版面の雰囲気と変わらなかった。
少しでも書物に興味をもつ人間であれば、活版で既刊行の部分の縮刷と、新たに収録される部分の違いくらい見分けがつくだろう。でも写植で組み直したにしては、既出の部分は菊判全集の版面とほとんど同じであるのが気になる。ではいったい何なのだろう。紙に目を近づけて字の刷られた部分に目を凝らしてみても、皆目見当がつかなかったのだった。
今回田中さんの一文を読み、この謎が解けたと思った。愛蔵版もまた上記文庫版の印刷工程と同じなのではないか、と。
菊判全集で使用された紙型から鉛版を作る。増補分はあらためて菊判と同じ組みでいったん活字を組み、紙型をとり鉛版を作る。入るべきところに増補部分の鉛版を組み入れ、あらためてすべてを清刷しそれを版下にしたフィルムを作成、四六判に縮小してできあがったのが愛蔵版ということなのだろう。
活版の谷崎全集に憧れて愛蔵版全集を購入し、それが活版でなく「縮刷版」かもしれないことを知ったときには気落ちしたものだったが、裏事情がわかってみると、それほど気落ちさせるたぐいのものではなかったのであった。こんな細かなことで一喜一憂する人間は、たぶんそんなにいないのだろう。