アイマイな記憶

坂口安吾『不連続殺人事件』(角川文庫)を読み終えた。
本作品は日本探偵小説史に燦然と輝く名作という評価が与えられている。現在はどうなのか知らないけれど、少なくとも私が中学生だった約20年前の時点では、ベスト5には必ずランクされていたのではなかろうか。
中学生の頃、上位にランキングされている作品(たとえば『獄門島』『点と線』『刺青殺人事件』『虚無への供物』など)はとりあえず読んでみようという律儀さをもっていた私は、当然この作品も読んだ。やはり約20年前のことになる。
読み終えての感想をはっきり憶えているはずもないが、他の上位ランク作品に比べてあまり面白くなかったという印象を持ったと思う。
本書を再読するきっかけは、これまた小林信彦さんの『小説世界のロビンソン』(新潮文庫)である。このなかで小林さんは次のように述べている。

「不連続殺人事件」を十数年ぶりで読みかえしての感想は、やはり面白い、であった。シチュエーションも、犯人も、動機も、すべて覚えているにもかかわらず、面白かった。(「第九章 推理小説との長い別れ」)
このすぐあとでは、「「不連続殺人事件」は、ぼくの考えでは、日本の推理小説のベスト10はもちろん、ベスト5にも入る作品」とも言い切っている。
こうして『不連続殺人事件』という懐かしい書名が頭にインプットされた直後、古本屋で当時読んだのと同じ角川文庫版を入手する奇遇に際会したので、いい機会と読みはじめた。
さて20年の時を経て「再読」しての感想は、私の場合いかがなものだったか。20年前のウブな頃に比べれば、かなり「不連続」の異常な世界を受け入れられる年齢にはなってきた。
物語に惹き込まれながら読み終えたのだから、たしかに刺激的なミステリだったことは間違いない。安吾の小説を読んだのも久しぶりだ。
本作品には、江戸川乱歩や文庫版解説の高木彬光も指摘するような独創的なトリックが仕掛けられている。「不連続」といえば誰もが思い浮かべる有名なトリック。
乱歩は、サスペンス不足という注文をつけつつも、「内外の探偵小説を引っくるめて、殆ど前例のない新手法を取入れた最も注目すべき作品」と激賞している(「「不連続殺人事件」を評す」、講談社江戸川乱歩推理文庫51『幻影城』所収)。
ところが二十年前の私はこのトリックの“素晴らしさ”をほとんど理解できなかった。何がそんなにすごいのか、と。実は二十年後の今もこの気持ちを払拭できないでいることを正直に告白したい。
しかも読んでいて、二十年前の「初読」以降今回の「再読」の間に、もう一回読んでいるのではないかという気がしてきた。また、物語のイメージ(とくに最大のトリックの場面)が鮮明なので、この映画化作品(ATG)も観ているのではないかという気がしてきた。その記憶すら怪しいのはまことに情けない。今回が「三読」にあたるかもしれないのだ。
いずれにせよ、安吾のミステリに対する「遊び心」を愉しんだ。安吾が物語に仕掛けた巧妙なトリックについて、いまだに素晴らしさがつかめていないことに、「四読」への可能性が残されている。