風変わりな小説

谷崎潤一郎『蓼喰ふ蟲』*1岩波文庫)を読み終えた。再読。前に読んだのは90年の7月で、日記にはこんな感想が書いてある。

確かに面白くは読んだが、何か物足りなさも感じた。これはこの小説が谷崎に珍しくマゾヒズムっ気がないということもあろう。加えて、淡路島の件は退屈に感じた。一方、娼婦ルイーズと要の絡みの場面はよかった。総じて言えば、これよりはその前に読んだ読んだ『卍』の方が好みではある。
わかっていないな、と13年前の自分につぶやく。もっともいまの自分が「わかっている」かどうかも怪しいが。少なくともこの間結婚して境遇が変わり、また違った思いで読むことができたのは確かである。
再読の今回の感想をひとくちでいえば、「変わった小説だなあ」ということ。小学生の男の子がいる夫婦。夜に肌を合わせなくなって久しく、別れる決心をしている。互いに相手を毛嫌いするというわけではないので、傷つけ合わずに別れるためにはどうすればいいのか、あれこれ算段しているうちにずるずると時間のみが過ぎ去ってゆく。
幸い妻に愛人ができたので夫はそれを容認し、もし彼女が愛人と結婚生活に入れそうであれば彼に妻を譲ることにして、その後も別れた妻と友人関係で居つづけようとする。外側からは「不義」に見えかねないが、なるべくそう思われないように慎重に歩を進める。
円満に別れられる方策を探し求める夫婦の話ということで、いわば“離婚小説”でもある。いまであればアメリカ流に訴訟に持ち込まれて泥沼の愛憎劇が繰り広げられる別れ話だが、そんな社会にどっぷりつかってしまっていると、この谷崎の小説は「変わっている」と思わざるをえない。
人形浄瑠璃を観る場面から入る谷崎の構成力がにくい。東京出身で、これまで浄瑠璃の大げさでこってりした感情表現を嫌っていた主人公が、なぜか面白いと感じるようになる。東と西の二項対立、そこに老−若、男−女という別の二項対立が絡んで物語は展開する。
このあと主人公夫婦はどうなるのかという余韻を残した幕切れも印象深い。だいたい谷崎の小説は読者にカタルシスを味わわせない終わり方をしているものが多い。続篇があるのでは、という終わり方をしているのだ。結末まで構想はして、あえて途中で終わらせるのだろうかと穿ってみたくなる。
だから中絶作品も立派に通用しているのかもしれない。