理想の「住まい」を求めて

脱・持ち家神話のすすめ

日本人の住環境について、戦前では「持ち家」ではなく「借家」が普通だったという話はわりと有名だ。最近もこの話を何かの本で目にしたはずなのだが、憶えていない。川本三郎さんの『郊外の文学誌』*1(新潮社)だったろうか。
高島俊男さんによる向田邦子論『メルヘン誕生―向田邦子をさがして』*2いそっぷ社)によれば、彼女の父は老舗保険会社に勤務していたが、昭和10年時点で旧東京市域の平均家賃は15〜20円、新市域が10〜15円のところ、彼女の一家が住んだ中目黒(新市域)の家の家賃は25円と、平均家賃の倍のハイクラスに属していたという。また並びの借家には校長先生と歯科医が住んでいた。
ここで注意したいのは、学校校長や歯科医も借家住まいであったこと。この階層が借家であったという事実が明らかとなる。
山下和之さんの新書新刊『脱・持ち家神話のすすめ―〈住む〉ための哲学を求めて』*3平凡社新書)によれば、日本人がこのような借家住まいから脱却して「持ち家」を求めはじめるといった、「持ち家神話」ともいうべき考え方が形成されていったのは高度経済成長期(70年代)、たかだか30年前にすぎないという。
持ち家こそが“住宅双六”のあがりであるという考え方がすなわち「持ち家神話」であるが、これは「土地神話」と不即不離のものである。土地神話というのは不動産所有を至上命題とするもので、この「信仰」はバブル期に最高潮に達し、バブル崩壊による地価下落により、いくぶんかは見直されるようになってきた。
山下さんは本書のなかで、これを機会に「持ち家神話」を捨て去ることを主張する。このことは、何も持ち家よりも賃貸がいいという単純な選択をすすめているのではない。
山下さんは「マイホーム」について、三つの価値があるという。「交換価値」「使用価値」「居住価値」である。交換価値とは資産価値のこと、使用価値とは利用価値、すなわち最低限雨露をしのいで安全な暮らしができるかという点についての価値(ここは少し曖昧なように思う)のこと。
山下説で特徴的なのは第三点の「居住価値」の提唱である。家族のコミュニケーションの場、地域社会の重要な単位としての家の価値を指す。暮らしやすさもこのなかに含まれる。
持ち家神話に縛られた従来の日本人は、第一の「交換価値」にばかり重きを置いてきた。今後は第三の「居住価値」に重点を置いた住まい探しが理想的であるというのが山下さんの議論の大筋である。
したがって家の所有形態(所有/賃貸、一戸建て/マンション)という問題はおいて、将来を見据えてどういう家に住みたいのかという考え方を基本に住まいを選択すべきだと論じられる。
一例としてあげられているのが、コーポラティブハウス。建築事務所などが主導して、何十個かの世帯が寄り集まり、話し合いながら一から共同住宅を作っていくスタイルのことである。
私は賃貸住宅に住んで長く家賃を払い続けるならば、同じような負担でマンションを買ったほうがいいという考え方で現在の住まいを選んだ人間である。山下さんに言わせると典型的な「持ち家神話」の持ち主ということになる。
今後何十年も住むことになるであろう家の選択、また人生最大の借金(ローン)を背負う決断にしては、自分たちのライフ・スタイルの見きわめと人生設計の検討作業に時間を費やすことをしなかった。
いまの住居を選んだことに悔いはないけれど(本の収納という点では難あり)、あの機会は将来設計を考える絶好の機会であり、それを素通りしてしまったことにいくぶんかの悔いがある。
たとえば子供の問題。ローンを払い終えたのち、いま持っている住まいはいずれ子供の所有物になるだろう。ただ果たしてそのとき子供は東京に住んでいるのか。実際私は山形の実家から離れ、東京で独立した暮らしを始めている。実家に戻ることは難しい。自分の子供がそうならない保証がどこにあるのか。逆に田舎暮らしを指向するかもしれない。
とすれば、ローンを払い終えて住まいを完全に自分たちの所有物にすることにいかなる意味があるのか。ここに賃貸という選択の余地が生じる。
山下さんは言う。

戦前の「家」制度のもとでは、「家」と地域社会は無縁でありえなかった。「家」制度が存在しないいま、地域社会との結びつきは年々薄れていくいっぽうである。
ある一定の場所にこだわって不動産をもつ意味はないのではないか。
もっとも発想を転換すれば、持ち家を購入して地域社会との積極的な関わりを目指すことで、「居住価値」を見いだす考え方もある。読みながらいろいろと考えさせられる本であった。