松本清張の冷たさ

黒地の絵

高度成長期に発した“社会派ミステリ”の祖松本清張の作品群には、あの時代の歴史性がべったりと付着している。
あれから数十年が経過した現在、「古びた」という一般的認識へのアンチ・テーゼだろうか、彼の作品を高度成長期日本社会を知るためのテキストとして読み直す試みが出現した(詳しくは2002/11/29、12/29、2003/2/9各条参照)。私もそれらの潮流に大きく影響を受け、そうした関心にそくして松本清張作品を読んだ。
今回重刷された『黒地の絵 傑作短篇集(二)』*1新潮文庫)を読み終えたいま、上の認識は誤ったものではないけれど、多少穿ちすぎの感がなくもないと考え直した。
要するにそのような前提(高度成長期日本を知るためのテキスト)なしで虚心坦懐に読んでも、清張作品は十分に面白いのである。物語にぐいぐいと惹き込まれるのである。こうした清張作品の“不思議な面白さ”については、すでに『駅路 傑作短篇集(六)』*2新潮文庫)を読んだときにも熱っぽく語っている(3/2条)。今度の短篇集を読んでもそのときの感想、評価とほとんど変わらなかった。
男女夫婦間の嫉妬、猜疑心、憎悪。同業者、アカデミズム、会社組織のなかの競争意識、劣等感、嫉妬、憎悪。こういう人間の心的構造は、たとえ枠組みが古びていても不変なのである。そして読む私たちはそこに奇妙にも惹かれ、いつの間にか物語のとりこになっている。
朝鮮戦争時、小倉に置かれた基地で起きた米軍黒人兵集団脱走事件。脱走した黒人兵に妻を凌辱された男の復讐の恐ろしさが、戦争の裏側のすさまじさとともに淡々と描かれる表題作の「黒地の絵」。
アカデミズムでの競争に敗れ社会の片隅で生きざるを得なかった男が、競争相手であった無能の学者たちを陥れようと企てた贋作事件の顛末「真贋の森」。
また中間管理職の悲劇をテーマにした「紙の牙」「空白の意匠」がとにかく酷烈だ。社会、組織が彼らに対して冷酷であるのと同じように、作者の主人公たちに対する扱いも冷淡きわまりない。むろんだからこそ物語として効果をあげているのだが、それにしても…と思うほど清張の筆は冷たい。でもこの冷たさがたまらない。
妻の浮気を疑う夫が仕組んだ突拍子もない罠と、それがもたらした思いがけない結末を描いた「確証」も背筋が凍る。ミステリよりもこうした系統の小説での冴えに私は惹かれる。