カフェ空間との親和性

あ・ぷろぽ―それはさておき

山田稔さんの最新エッセイ集『あ・ぷろぽ―それはさておき』*1平凡社)を読み終えた。『月刊百科』や『週刊朝日』『京都新聞』などに掲載されたエッセイを集めたもので、ひとつひとつが短く、軽快なユーモアに満ちたエッセイ集であった。
『コーマルタン界隈』『リサ伯母さん』などの長めのエッセイ、また小説ともエッセイともつかない“散文”に惹かれて山田稔の世界に入った人間としては、このユーモアに富んだ短いエッセイもまた山田さんの別の一面を見たような思いがして、読書の楽しみを味わった。
これと同じようなエッセイ集と思われるのに『ああ、そうかね』(京都新聞社)があるが、これは先日書いたとおり入手に手こずりネット購入に頼った本だった。入手したことで安心(満足)してしまい、読んでいない。はからずも後に出た『あ・ぷろぽ』を先に読み終える仕儀となった。
山田さんは京都大学を定年退官したのち、そのまま京都の町に住んで悠々自適の日々を送っている。古稀を過ぎ老いというものを感じつつ、京都の町をぶらぶら歩き、詩人天野忠やむかしの仲間たちを語り、本を読み、鋭敏な感性で日常を切り取る。
読んだ本に栞がわりに挟まれていた新聞記事から元の持ち主について想像をめぐらせる。たまに入る古本屋で旧著を見つけ、「自分の値段」を推し量る。もとの勤め先の図書室から、自分宛の葉書が挟まれてあるのを見つけたと若い後輩に教えられ、差出人の友人の姿を追憶する。
山田風太郎小沼丹小島政二郎の『眼中の人』を読んでいるという文章を読んで親近感を感じる。
下鴨あたりに住んでいるらしい山田さんは、町中に出るときは河原町二条でバスを降り、二条通から寺町通を北へ向かう。必ず立ち寄るのが三月書房。そこで本を購入したらさらに北にある進々堂という喫茶店でひと休み。さきほど買ったばかりの本に目を通しながら、周りの客たちの人間観察も欠かさない(「街の片隅で」)。
山田さんや、山田さんの“散文芸術”の直系である堀江敏幸さんのエッセイを読んでいると、パリのカフェでひと休みするシーンにしばしば出くわす。パリに行きたいというわけではないが、カフェという空間への憧れがつのる。
カフェの空間にとけ込むことのできるエトランジェは、故国に帰っても、そうした空間との親和性を失わない。