読前読後

雪よ林檎の香のごとく

川本三郎さんの新刊『白秋望景』*1(新書館)が出たことを知らなかったのは、川本ファンとして痛恨事だった。なにかの新刊案内で見たおぼえはあるのだがそのまま忘れ、別の新刊『時には漫画の話を』*2(小学館)の著者紹介中に『白秋望景』とあったのを見て…

わがユーミンおぼえがき

わたしが一番好きな歌い手は、いまもむかしも松任谷(荒井)由実である。 なぜ唐突にこんなことを書きだしたかというと、最近就寝前などにYou Tubeを見ることが多く、そこにたくさんアップされているユーミンの曲を聴き、関連動画のつながりで「あれも、これ…

寺田寅彦についての本に弱い

小山慶太さんの『寺田寅彦 漱石、レイリー卿と和魂洋才の物理学』*1(中公新書)を読み終えた。著者の小山さんは早稲田大学の先生。理学博士とあり、物理学史や啓蒙的な科学書などの著作がある。寺田寅彦とおなじ専門の先生なのだろう。 本書は物理学者から…

時代と心中するということ

『沙漠に日が落ちて 二村定一伝』*1(毛利眞人著、講談社)という本が出ることを新刊案内で知ったときに感じたのは、「色川武大さんがたしか書いていた人だ」「エノケンとコンビを組んでいた人だ」というほどのものであった。 刊行後さっそく購入し、読む前…

再読してわが身の変化を憂う

岩波現代文庫に入った川本三郎さんの『郊外の文学誌』*1を読み終えた。 この本の元版*2が新潮社から出たのは、2003年2月のこと。とおして読むのは約9年ぶりのことになる。わたしは3月2日に感想を書いている(「都市東京にはたらく遠心力」と題してさるさる日…

贅沢な時間のなかで

昨年読んだものの感想を書きそこねた本を書棚に探して、一冊一冊読んだときの記憶を呼び起こそうと苦労した。苦労のあとは昨年の大晦日に書いたとおりである(→2011/12/31条)。 そこの一番最後に書いたのが、関容子さんによる詩人堀口大學の聞書『日本の鶯…

本を読んで人生を考える

連休前に新刊本(といってもすべて昨年出た本だが)3冊を購った。それらすべてをこの連休中(しかもまだ二日目だ)に読み終えてしまった。めずらしいことである。「買った本すべてを読むわけではない」。本好きにとってしごくあたりまえの原則だが、実際読み…

横溝ブームのドキュメント

今年は帰省をしなかったため、食っちゃ寝の寝正月であった(帰省しても寝正月には変わりないのだが)。少し身体を動かしておかないと、仕事始め後の日常生活に差しつかえるという危惧もあったので、妻と次男と三人で隣町にあるブックオフまで歩いて往復する…

読んだ本落穂拾い

今年の前半は自分の本を書き上げることで一杯一杯だった。しかしながら後半は、読書の量も映画を観る頻度もかつての感覚をだいぶ取り戻してきたように思う。といっても、まだまだ時間や気持ちに余裕がなく、かつてのように読みながら感想を書くためにポイン…

『蒲生邸事件』再読

『蒲生邸事件』は、わたしが初めて読んだ記念すべき宮部みゆき作品である。2000年10月に文春文庫に入ったものを購い、約一ヶ月後の11月に読み終えている(→旧読前読後2000/11/4条)。その後妻がわたし以上の宮部ファンになり、自分が持っていた宮部さんの本…

『霧と影』の原作と映画

先日ラピュタ阿佐ヶ谷にて「霧と影」を観たあと、買ったまま積ん読してあった水上勉さんの原作(新潮文庫)を読むことにした。この『霧と影』こそ、水上社会派ミステリの第一作であったと記憶していたからである。 この作品がたいへんな難産のすえ生み出され…

わたしの好きな文体

湯川豊さんの『須賀敦子を読む』*1(新潮文庫)を読みながら頭で考えていたのは、「自分の好きな文体」についてだった。湯川さんの本のおかげで、それを人に説明できるところまでまとまってきたように思う。 もちろんそのなかには、『須賀敦子を読む』に展開…

本を読んでみるものだ

本を買って、読むきっかけにはさまざまあるだろう。著者、書名、テーマ…。その意味では、津野海太郎さんの『ジェローム・ロビンスが死んだ なぜ彼は密告者になったのか?』*1(小学館文庫)は、著者ということになるのだろうか。といっても、津野さんが出し…

新著のことども

わたしにとって3冊目の著書となる『記憶の歴史学 史料に見る戦国』*1(講談社選書メチエ)は、いちおう今日が発売日となっている。 いままでの本の購入者としての経験上、土曜日が発売日になっているばあい、その日に店頭に並ぶということはふつうないのだろ…

背中との出会い

洗面所から廊下(というほど立派ではなく、狭い通路)をはさんで向かい側に、わたしの本置き部屋がある。夜ねむる前に歯をみがきながら、わが本棚をぼんやり眺めて悦に入るのが日課となっている。心が落ちつくひとときである。 吉田篤弘さんの『木挽町月光夜…

原敬・日記・特別室

原奎一郎さんの『ふだん着の原敬』*1(中公文庫)を読み終えた。 この本を買ったきっかけは、著者にある。もちろん原敬にまったく興味がなかったわけではない。といっても、研究者としての興味ではない。平民宰相、おなじ東北出身(原敬は岩手)という、どち…

映画館の空気がゆるむとき

むかしの日本映画を映画館で観ているとき、ある俳優がはじめて登場する場面で、いっとき館内の空気がゆるむ、和やかになる、という経験をすることがある。そういう雰囲気をつくる俳優として浮かぶのは、伊藤雄之助、小林桂樹、三國連太郎の三人である。 存在…

本を出します

来月、講談社選書メチエより、新著『記憶の歴史学 史料に見る戦国』を刊行します。ISBNが付き、アマゾンに出ていたので*1、ここでも紹介できるようになりました。さっそくツイッターで軽美伊乃さんに紹介していただきました。ありがとうございます。 紹介文…

記憶が家をつなぐ

父母がいて、それぞれに祖父母がいて、そのまたそれぞれに曾祖父母がいる。さかのぼればきりがない。彼ら先祖の一人が欠けても自分という人間はこの世に存在していない、ということを意識するのは、お墓参りの機会だろうか。 星野博美さんの『コンニャク屋漂…

増殖する物語

極上のノンフィクションはさながらミステリ小説のごとし。ややもすればミステリ小説を凌駕する。 ノンフィクションすべてがミステリのような謎解きの要素をもっているわけではなく、そもそもノンフィクションというジャンル自体、謎解きに限定されるものでは…

藤田嗣治伝というレイヤー

藤田嗣治といえば、奇抜な扮装や「奇行」がまず真っ先にあげられ、それらによってさまざまな伝説が生み出され、語られている。単身パリにわたって一躍有名となり、日本に凱旋して戦争のときは従軍画家として協力、戦後はふたたびフランスに戻り、フランス国…

和田誠さんと俳句

和田誠さんの新著『五・七・五交遊録』*1(白水社)を読み終えた。俳句をとおして語る半自伝、俳句をとおしての交遊を綴る、いつものように淡々として暖かみにあふれるエッセイ集だった。「話の特集句会」に集うデザイナー、イラストレーター仲間、作家、編…

藤森照信の刺激

先の週末、鹿島茂さんの『パリの異邦人』や、小谷野敦さんの『猿之助三代』をたてつづけに読み、読書のカンのようなものが戻ってきたという実感がわいてきた。もちろんそうさせる本あればこそだったからだが、それならこれまでだって継続的にいい本と出会い…

澤瀉屋の歴史

わたしが歌舞伎をはじめて観たのは、1998年7月、歌舞伎座においてであった。そのころ毎年7月は猿之助率いる澤瀉屋一門による「猿之助大歌舞伎」の月であり、このときは「義経千本桜」の昼夜通しが出されていた*1。 東京に住みはじめたのが98年4月なので、ま…

パリ憧憬

「Sound Massage」というiphoneアプリ(もっとも、実際使うのはipod touchだが)を愛用(愛聴)している。癒し系の音を聴くためのアプリであり、たとえば「雨の降る池」「春の丘」「田舎の夏の夜」「海の余韻」や、鳥の囀り、蛙の鳴き声のような自然を素材に…

洋画家たちにとって東京とは

絵描きにとってパリという都市が特別な意味を持っているように、日本人の洋画家にとって、東京という都市もまた重要な空間であった。その人が生かされるか殺されるかは一に東京との相性の良し悪しに左右される。近藤祐さんの『洋画家たちの東京』*1(彩流社…

円紫さんを越えてしまった

北村薫さんの新刊長篇『飲めば都』*1(新潮社)を読み終えた。ある一流出版社の編集者をしている女の子小酒井都さんを主人公に、彼女を取り巻く同僚たちとの“酒のつきあい”を中心に進む物語である。 帯には「文芸編集女子」「酒女子」とある。これは出版社の…

小説と批評の入れ子

批評というものは、たんに対象の悪口を言うことではない。それであれば誰でも務まる。批評は、文章の表面には出てこなくとも、それをする人のそれまでの人生経験などが裏に詰まっているのだ。小説もおなじだと思う。だからわたしには小説も批評も書けないと…

象徴としてのX橋

43年の人生のうち、生まれてから18年を山形で、12年を仙台で過ごし、東京に移って早13年が過ぎてしまった。仙台で暮らした時間がこれまでの人生のなかでもっとも短くなったなんて、信じられない。それほどに仙台の町で暮らした時間は懐かしく、濃密である。…

大本事件と本能寺の変

本能寺の変には謎が多い。とくに首謀者については、明智光秀の単独犯なのか、その背後に誰か“黒幕”がいるのかどうか、実証的に解き明かそうとしたものからいわゆる“トンデモ説”まで、さまざまな説が飛び交っている。『歴史読本』の来月刊行号(7月号)は本能…