藤田嗣治伝というレイヤー

藤田嗣治 本のしごと

藤田嗣治といえば、奇抜な扮装や「奇行」がまず真っ先にあげられ、それらによってさまざまな伝説が生み出され、語られている。単身パリにわたって一躍有名となり、日本に凱旋して戦争のときは従軍画家として協力、戦後はふたたびフランスに戻り、フランス国籍を取得して一生を終えるという波乱の人生もまた、画家フジタという存在を彩る大きな縦糸となっている。
藤田嗣治という人間を、その人生や画業も含めた総体として語ろうとしたばあい、それを叙した本はかなりの大部となるであろう。想像もつかない。むしろ、このところの林洋子さんの著作のように、フジタが携わったさまざまな仕事についてひとつひとつ丁寧に、深く掘り下げ、それを積み重ねてゆくというのがいい方法なのかもしれない。一冊一冊の著作が一枚のレイヤーとなって、それを重ねれば「藤田嗣治」という一人の人間の一生を叙した大きな作品となる。
以前読んだ『藤田嗣治 手しごとの家』*1集英社新書ヴィジュアル版、→2009/11/22条)につづいて、林さんがおなじシリーズから上梓されたのが、新刊藤田嗣治 本のしごと』*2である。
フジタといえば「乳白色の下地」に面相筆で描いた油絵をまず連想するが、本書を読むと、本に関わる仕事(おもに装幀・装画)もまた、フジタの画業のなかで大きな位置を占めることがわかり、驚かされる。
本書には、フジタが装幀に携わった書物や、手がけた表紙、装画などのカラー図版が豊富に収められている。これらは油絵と異なりいわば「複製芸術」であるわけだが、見ているとそんなことを忘れさせるほどのすばらしさに、しばしば陶然とさせられた。
とにかく洒落ている。モダンである。1935年に『婦人之友』の表紙画を一年間担当しており、そこでは雑誌の刊行月にふさわしいフランス風景があざやかな水彩画として描かれている。林さんはこれらを「パリの月次絵」と表現する。全12点、すべての表紙画が155から56頁に掲載されているが、これを眺めているだけでも豊かな気分になる。
また、横光利一東京日日新聞に連載した長篇『旅愁』の挿絵をフジタが担当している。この挿絵も何点か167頁で紹介されているが、どれも素晴らしいもので、この挿絵と一緒に毎日横光の小説を読んでいた新聞読者の幸せに、つい思いを馳せる。講談社文芸文庫に横光作品が多く入っているが、思わずそれらのなかに『旅愁』がないかどうか探してしまった。買っても読んでいないから、何を持っているのか忘れているし、そもそも横光作品には似たような(漢字二文字の)タイトルが並び、紛らわしい。
結局、持っていたのは『上海』『寝園』『紋章』の3冊のみだった。ただ、『旅愁』は上下2冊で文芸文庫に入っていることは確かめられた。文芸文庫の常として、フジタの挿絵は入っていないのだろうが、そこにフジタの絵が添えられていたという事実を思うだけで、手に入れてみたくなる。フジタの挿絵の画題は、「セーヌ河畔の古本屋、モンパルナスのカフェ・ドーム、凱旋門ノートルダム寺院ガーゴイルなど」というもので、そういう単語を並べられただけでも惹きつけられるのである。
とにかく林さんの本はフジタ作品、藤田嗣治という人物へ向かう強い牽引力をもっている。2006年に開催された生誕120年回顧展の図録を引っぱりだし、しばらく飽きずに眺めていた。