象徴としてのX橋

いつかX橋で

43年の人生のうち、生まれてから18年を山形で、12年を仙台で過ごし、東京に移って早13年が過ぎてしまった。仙台で暮らした時間がこれまでの人生のなかでもっとも短くなったなんて、信じられない。それほどに仙台の町で暮らした時間は懐かしく、濃密である。まさに若気の至りというほかないような、いま思えば恥ずかしく、他人に迷惑をかけた苦い悔いが残る思い出もたくさんあるが、それ以上に、楽しかった思い出が多い。
しばらくぶりに車を運転する生活に戻って嬉しかったのは、土曜日夕方のTOKYO-FM「サタデー・ウェイティングバー AVANTI」がまだつづいていたこと。とくに愛聴していたわけではないのだけれど、土曜日にドライブに行き、帰ってくる車のなかで何気なく聴いていたそれだけなのに、耳に入ると無性に懐かさをおぼえた。せっかくの土日の休みに息子たちのサッカーにつきあって車を運転するというのも、だからわたしとってはそれが気晴らしになり、ラジオを聴いて仙台に暮らしていた頃を思い出すいいスイッチになるのである。
先の大地震で仙台も壊滅的な被害を受けた。東北に生まれ育った身でありながら、東京に住んでいて何もできないのは、とても歯がゆい。かといってすばやく行動に移せるような身軽さと決断力もない。そういうわたしのような人間が、今後悔いのようなものを抱えて卑屈になることがないような社会になればいいのだが。
よく休みの日に妻と二人でテニスをしに出かけていた海に近い市営テニスコートも、場所柄津波に襲われたに違いない。まだ反射神経と体力があった時代がごっそりさらわれてしまったという、言いようもない焦燥感にかられる。
熊谷達也さんの『いつかX橋で』*1新潮文庫)は、解説の赤坂憲雄さんが書くように「仙台小説」である。「X橋」という響きが懐かしく、熊谷作品を読んだことがないけれど、単行本で出たときに買ってしまった。しかしいつものように読まないまま文庫化されてしまう。
単行本は2008年11月に出た。よほど評判になった本でないかぎり、たいてい文庫化までに3年という通念がある。赤坂さんの解説は、「わたしたちはみな、幸か不幸か、〈三・一一以後〉を生きることになった」という一文から始まっている。たまたま解説が書かれたのが〈三・一一以後〉であり、文庫化は震災と関係ないと信じたい。
小説の冒頭は、仙台の空襲からはじまる。空襲で家族を失い、焼け野原になった仙台の町で一人生き抜こうとする若者が主人公だ。焦土と化した町に茫然と立ち、家族の遺体を探して荼毘にふす主人公の姿が、この震災における東北の人びとの姿と重なって苦しくなる。現実とはこういうものだという苦さにやるせなさをおぼえたが、小説自体はとても面白かった。読み進めるにつれ、読む者をぐいぐいと引っ張る強さが増し、途中で読むのを中断するのに骨が折れるほどだった。
ところで「X橋」というのは、物語のなかで重要なポイントとなり、かつ若者たちの未来への希望を象徴する場所として語られている。仙台駅のすぐ北にあって、道路が東北本線などを跨ぐ跨線橋の俗名である。ちょうど橋の両方が二股に分かれており、真横にすれば>―<というかたちをしている。「―」の真下を線路がくぐるわけである。
だから正確にはXではないのだが、そういう愛称が定着している。もっともすでにわたしが仙台に住んでいた頃から(だったと思うが)、仙台駅北に高層ビル「アエル」ができたため、いっぽうの>が一本足になってしまい、X橋がY橋になってしまった。余計なことだが、アエルがいまあるあのあたりは、わたしが仙台に来たころはまだ古めかしい商店が並んでいて、そのなかに古本屋も一軒あった。そんなに広い店ではなかったが、その前の道路にバイクを停めて文庫本を買ったことを思い出す。
いまそのX橋はどうなっているのだろうと、グーグルのストリートビューを見て愕然とした。すっかり様変わりしているからだ。線路を越えて駅の東側に出ようというあたり、わたしはかつてそこから自転車で数分のところに住んでいたのだが、一方通行で道が狭く、古い家が建ち並んでいたあたりが駐車場になったり、軒並み高層マンションになっている*2。これでは、Y橋すらなくなってしまうのは時間の問題だ。
青葉通でも広瀬通でもない。観光客が訪れるスポットではむろんない。たとえY橋になろうとも、一本橋になろうとも、仙台に住む人(あるいはかつて仙台に住んでいた人)が懐かしくふりかえるような、仙台の町を思い出す言葉が「X橋」であり、『いつかX橋で』は、たしかに仙台にはX橋というものがあってそこで暮らしていたのだという記憶を刻むためにも、わたしにとって大切な作品である。

*1:ISBN:9784101341521

*2:興味がある方は、グーグルマップに「38.26317,140.883737」を入れてストリートビューを見ていただきたい。