時代と心中するということ

沙漠に日が落ちて

『沙漠に日が落ちて 二村定一伝』*1毛利眞人著、講談社)という本が出ることを新刊案内で知ったときに感じたのは、「色川武大さんがたしか書いていた人だ」「エノケンとコンビを組んでいた人だ」というほどのものであった。
刊行後さっそく購入し、読む前にまず色川さんが二村について書いた一文「流行歌手の鼻祖―二村定一のこと―」に目を通した。『なつかしい芸人たち』*2新潮文庫)に入っている。そこに書かれている色川少年と二村定一の交流、熱狂的な人気を獲得したのも束の間、時代に取り残された哀れな末路は、毛利さんの評伝を読むための格好の踏み台となった。
帯にはこんな宣伝文が書かれている。

エロ・グロ・ナンセンスでしか語りえぬ真実もある。/昭和の初め、独特の歌唱とパフォーマンスで時代を疾駆した/稀代の蕩児の姿を通して浮かび上がる戦前モダニズムの夢。
昭和初期のエロ・グロ・ナンセンスの時代、エノケンとともに一世を風靡した流行歌手。それが二村定一である。鼻が異様に大きくて、白塗りするとまさにピエロのような、日本人離れした特徴のある風貌がまず強烈に脳裏に焼きつけられる。いろいろなブロマイド写真が掲載されているが、どれをとっても「異貌」である。
二村定一という名前だけ知っていても、その歌声は聴いたことがない。
このジャズバンドのなかで定一の声は、ひときわ目立つ楽器と化する。明るいけれどピエロのように哀歓をはらんだ中性的な声で、三番まである歌詞を間奏なしで一気に歌い通す。各パートの演奏、ヴォーカル、どれひとつとっても官能的なのだが、全体のイメージはスピード感に支配されて、一陣の風のように過ぎ去る。あたかもサブリミナル効果のように官能が刷り込まれるのだ。(118-119頁)
ヒット曲「君恋し」を唄う二村の姿を描いた毛利さんの文章は、それこそ聴いたこともないのにサブリミナル効果のように刷り込まれ、いい歌なのだろうと、その文章表現だけで陶然となる。
そして「探偵ナイトスクープ」で取りあげられて話題になったという「百萬圓」という歌のナンセンスな味わい。
百万円拾ったら/女学校建ててぼく先生/月謝は少しも取りません/綺麗な娘さん募集して/毎日恋愛 エロ講義/裸ダンスを教えます/面白いですね
昭和7年に発売されたというこの「エロ小唄」、「裸ダンス」というのはせいぜいレオタードや水着でレヴューを踊る程度なのだろうが、男が抱く“透明人間になって女風呂に入ってみたい”といった妄想まであと一歩のところ。たまらずYouTube二村定一を検索するとこの「百萬圓」がアップされていたので聴いてみると、最後の「面白いですね」の歌詞が、頭のなかの妄想にもかかわらず嬉しさに身を震わせる男の侘びしさを感じさせてたまらない。
エノケンと組んで好評を博した二村定一だが、エノケン人気が絶頂になると置き去りにされ、凋落への道を歩むことになる。戦後落ちぶれた姿を目撃したのが色川武大少年だった。
結局二村定一という歌手は「エロ・グロ・ナンセンスでしか語りえぬ」人物なのだ。毛利さんは本文にてこうも書いている。
定一の非凡さは悲運にも、その時代に閉じこめられる宿命であった。しかし定一はまだそのことを知らない。(125頁)
エロ・グロ・ナンセンスの時代にあまりに寄り添いすぎ、その時代を体現したからこそ、その時代が過ぎ去ると置き去りにされ、忘れ去られる。時代の変化のなかをたくみに泳ぎ回る器用さがない。
わたしの恩師である羽下徳彦先生が、南北朝時代、兄足利尊氏と協力して後醍醐天皇建武政権を倒し、室町幕府を打ち立てたものの、その後兄やその近臣である高師直らとの権力闘争に敗れ、滅んでいった足利直義について、こんな評価を与えている。
それは、思い切っていえば、ある体制そのものを背負って生きた人間は、その体制の瓦解に際会するならば、その体制を担って死ぬことによってのみ、歴史の進展に寄与する結果となるということである。(『日本中世の政治と史料』202頁)
二村定一という、エロ・グロ・ナンセンスという時代を背負って生きた人間は、その時代が過ぎ去ったとき、その時代に殉じて忘れ去られるほかなかった。まさにそれゆえにこそ、歴史に名を残すことになった。何も二村自身は、自分という存在が時代に寄り添っているなどとは思っていなかっただろう。時代が変わって人気を失い、かつての相棒が頂点に上りつめるかたわらで屈託を抱え、世の中を恨み、精神と身体を滅ぼす。後世の人びとが、そんな彼を時代を体現する人間として「発見」したことにより、はじめて「時代に閉じこめられる運命」を持った人物として評価された。浮かばれたと言わずなんと言おうか。時代に寄り添いきったことの功徳である。
著者の毛利眞人さんは、本書にさきがけて『ニッポン・スウィングタイム』(講談社)という著書がある。昭和文化史の一側面を戦前の日本ジャズによって描いた好著らしい。まったく知らなかった。しかも、『ニッポン・スウィングタイム』や本書と連動するようなかたちで、「ニッポン・モダンタイムス」というコロムビア、ビクター、キング、テイチク四社が協力して発売された戦前日本ジャズの名曲集が発売されていることも知った(本書にチラシが入っている)。
本書を読んで我慢ができなくなり、先の週末町中へ出る所用があったついでに、銀座の山野楽器に立ち寄り、二村定一ベスト・アルバム私の青空二村定一ジャズ・ソングス』(ビクターエンタテインメント)、若き時代の藤山一郎の作品集『ジャズを歌う』(同前)、「銀座カンカン娘」の好演が印象深く、これまた色川武大さんの文章でも知っている岸井明のアンソロジー『唄の世の中〜岸井明ジャズ・ソングス』を買ってしまった。もっぱらいまそれらばかりを聴いている。頭の中では、二村の代表曲であり、本書のタイトルにもなった歌詞が含まれている「アラビアの唄」が繰り返し流れている状態である。
私の青空~二村定一ジャズ・ソングス ジャズを歌う 唄の世の中~岸井明ジャズ・ソングス