わたしの好きな文体

須賀敦子を読む

湯川豊さんの須賀敦子を読む』*1新潮文庫)を読みながら頭で考えていたのは、「自分の好きな文体」についてだった。湯川さんの本のおかげで、それを人に説明できるところまでまとまってきたように思う。
もちろんそのなかには、『須賀敦子を読む』に展開されている当の湯川さんの文章が入っている。そのほか思いつくままあげれば、吉行淳之介瀬戸川猛資向井敏。このあたりの方々の文体が好きで、これまでなぜ好きなのか、自分でも理由が見つかっていなかった。今回『須賀敦子を読む』を読んで気づいたのは、「揺るぎない文章」というものだ。
つまり、ある文章に使われている単語や言い回しが、まさにその表現以外ないほどに文章のなかにしっかりとつなぎとめられ、ほかの単語や言い回しによって交換可能ではないほどに高い完成度をもっている文体。こういう説明の文章を自分で書くと、どうしても別の表現が可能なくらいのゆるさに満ちているから、わたしはそうした文体の持ち主ではなく、だからこそ憧れるのだと考えることができる。
たとえば、須賀さんの『ミラノ 霧の風景』を論じた第二章の末尾の文章。須賀さんの文章を語っている箇所である。

けっして湿った感じではないけれど、それらの人びとと共に失われた時間への思いが、いつのまにか滲み出してきた霧のように文章の行間にただよっている。(77頁)
この比喩にたちどまることなく、須賀さんの文章の雰囲気が頭にしみこんでくる。
同じ章で、やはり同書の文章を語るくだり。
本を材料にした、この語りの巧みさ。イタリアの貴族がひそかに、また強固に発散させているだろう特有の匂いを、私たちは確かに嗅いだように思ってしまうのだから。
本を触媒にした語りの手法の集大成みたいな観があるのが「さくらんぼと運河とブリアンツァ」。手のこんだ語り口が駆使されて文章に少しのゆるぎもない。(60頁)
そうして引用されている須賀さんの文体もまた、「わたし好み」の「ゆるぎのなさ」となっている。
いままで自分は須賀さんの本のうち何を読んできたのだったか。過去を調べてみると、直近では、当の『ミラノ 霧の風景』を含む河出文庫版全集第1巻を5年ほど前に読んでいた(→2006/11/6条)。「見て、記憶して、思い出す人」というタイトル、最近出した拙著のテーマと通じあうように思うが、まだ記憶をテーマにして何か書こうと思い立つ一年ほど前のことだ。もとよりこの頃からすでに「記憶」という現象に何らかの関心があったとみえる。
『ミラノ 霧の風景』における記憶への意識については、湯川さんは第二章でこんなふうに記している。
記憶というものの濃淡、もしくは欠落が、わざとそのままに語られ、それによってじつに美しい余韻が残る。この一編(「アントニオの大聖堂」―引用者注)は、記憶のあいまいさを逆手どって書いているようなおもむきがある。記憶の空白が何かで補われて修整されるのではなく、空白のまま語られることで、大聖堂の幻想的なイメージがかえってリアリティをもつ。(75頁)
須賀さんの生前の文業は「回想的エッセイ」ということばで表現できる。だから須賀文学のなかで記憶という現象は、とても大きな要素になる。この記憶の再生といういとなみを、須賀さんはどのように自分の表現方法としたか。湯川さんの分析は鋭い。
湯川さんによれば、一般的な回想的エッセイは、記憶をなぞるという書き方が多いのに対し、須賀さんのばあいは「描写によって場面がもっと積極的につくりだされている」という。したがってそこで展開されている場面を読んだ者は、一見須賀さんの記憶力の良さに圧倒されそうに見えて、実は「すばらしい描写力」に圧倒されているのだ。
過去に出会った人たちを、現在の意識のなかで多角的に見る。記憶によるかに見えて、ほとんどつくりあげている。それによって、回想的エッセイは、限りなく一個の「作品世界」に近づく。(171頁)
須賀さんの作品は、「記憶のディテールをなぞるのではなく、記憶をよりどころにして言葉によってつくりだされたもの」(175頁)(175頁)だというのである。なるほど。だとすれば、やはり自分にとって須賀敦子の作品世界はつねに関心を惹かれる対象であるべきなのだが、文庫でたいていの作品を集めたうえに文庫版全集もすべて買い揃えたにもかかわらず、なぜか全集の読破は第1巻で頓挫したままになっている。
やはりこれは、わたし自身の信仰への無理解にあるのだろう。ただ、信仰とは無関係な人でも熱烈な須賀ファンがいるはずだ。わたしのばあいもうひとつ、湯川さんの指摘で納得したことがあった。たとえば『ミラノ 霧の風景』は、他人が書いた本を拠り所にしているにもかかわらず、「不思議なことにブキシュな感じがほとんどない」(62頁)と。これは、「本の中の人びとと須賀の現実の知人友人が、エッセイの中で違和感なくまじりあう」からと説明されている。
そんなふうにして、自分が須賀さんの世界からしばらく離れていた理由がわかってきた以上、また、須賀さんの文体がわたしの好む傾向のものである以上、近いうちにまた作品世界に分け入ってゆく日もおとずれるにちがいない。