贅沢な時間のなかで

堀口大學

昨年読んだものの感想を書きそこねた本を書棚に探して、一冊一冊読んだときの記憶を呼び起こそうと苦労した。苦労のあとは昨年の大晦日に書いたとおりである(→2011/12/31条)。
そこの一番最後に書いたのが、関容子さんによる詩人堀口大學の聞書『日本の鶯』*1岩波現代文庫)だった。この講談社文庫版*2は書棚の目につくところにいつも置いていたので、読んだつもりになっていた。大晦日には、「旧版(講談社文庫)で一度読んだはずなので、今回が再読だが」などと書いてしまったけれど、いまあらためて考え直せば、通読はしていない。だから岩波現代文庫版によってはじめて通読したのである。講談社文庫版は最後のページに早稲田の五十嵐書店の値札(250円)が付いている。東京に来てから購ったのだろう。
さて岩波現代文庫版は2010年12月に出た。だから読んだ(読み終えた)のは2011年のことだろうと、大晦日に感想を書いたのだが、記憶はすべて怪しい。「たいそう面白かった」という印象のみが残っており、ひょっとしたら2010年内に読み終えていたのだったかもしれないからだ。
それはともかく、『日本の鶯』を読んだこと、そしてそれが面白かったことを思い出した副産物があった。読みさしであった長谷川郁夫堀口大學 詩は一生の長い道』*3河出書房新社)の存在を再認識したのである。三分の一ほどを残しそのままになっていた。年末から正月にかけて、この本をゆっくりなめるように読み進めていったことはもちろんである。
そしてようやく読み終えた。A5判二段組で600頁を超える浩瀚な評伝、それでも終戦時点までしかたどりついていない。戦後の堀口大學の足どりも興味があるのだが、いずれは続篇が出ないのだろうか。とにかく、堀口大學という人間の人物像、彼の家族、彼の交友関係といったところは言うまでもなく、その詩もたいへんに面白い。一気に堀口大學に魅了されたのである。6600円というたいへん高価な本だったが、買って良かったと心から思える本だ。
もっと堀口大學の作品を味わいたくて、勤務先の図書館から『堀口大學全集』第一巻(詩集を収める)を借りてきてしまう。長谷川さんが営んでいた小澤書店の刊行、マーブルの紙と背革に包まれた継ぎ表紙の、持ち重りの感がする造本が素晴らしく、仕事の合間の息抜きにページをめくり、目に飛びこんできた詩を読むと、雑念がすっと消えてゆく。これほど自分の感覚にあった詩は、これまで出会ったことがなかった。
戦争の影が押し寄せ、早々に東京を脱出したものの、堀口さんにはそれまでの詩作活動ができなくなっていた。そういう堀口さんに、堀口作品の刊行を一手に引き受けていた第一書房長谷川巳之吉は月300円の援助をおこなっていたという。自己犠牲的に文化を守ろうとしたこの長谷川巳之吉という人物に関心が向かないわけがない。
おなじ長谷川郁夫さんによる巳之吉の評伝『美酒と革嚢 第一書房長谷川巳之吉*4。『堀口大學』より3年先だって刊行された。こちらは購ったまま、一頁も読んでいない。とうとう読む機会がおとずれたようだ。こちらも5800円と安くない。「いつか読む日のため」にしては高い本であったが、そう、この日のためなのだ。だから買っておいてよかった。
いま、「帰宅すれば『美酒と革嚢』が待っている」という高揚感に包まれている。なんと豊かなことか。電車本には、これまた長谷川郁夫さん(小澤書店)と無関係ではない吉田健一の『甘酸っぱい味』を読んでいる。電車に乗ってもいい本がある。家に帰っても素敵な、そして手にずっしりと重い本を読み進められる。このうえない贅沢な時間のなかにある。このまま過ぎ去ってしまわなければいいのに。