本を出します

来月、講談社選書メチエより、新著『記憶の歴史学 史料に見る戦国』を刊行します。ISBNが付き、アマゾンに出ていたので*1、ここでも紹介できるようになりました。さっそくツイッターで軽美伊乃さんに紹介していただきました。ありがとうございます。
紹介文が版元のメールマガジンやアマゾンに載っていましたので、転載します。

「歴史」はどのようにして生まれるのか。本能寺の変細川ガラシャ自害などの事件の記録を元に、記録が歴史となるプロセスを探る。
著者としては、「記録が歴史となるプロセス」というより、「記憶が歴史となるプロセス」なのかなとも思いますが、「記録が歴史となるプロセス」でも間違いではありません。
歴史は史料にもとづいて叙述されるわけですが、その史料のもとをたどれば、たいてい人間の記憶にいきつきます。本書では、史料(とりわけ文献史料)が人間の記憶によってできあがっているという原点にできるかぎり近づき、人間の記憶から史料が生み出され、そこから歴史が生まれるという過程を見ていきたいというものです。さらにそうしてできあがった歴史が、あらたな人間の「記憶」(このばあい「集合的記憶」に近い意味合い)をかたちづくるというところまで見とおしています。対象とするのは戦国時代から信長・秀吉の時代にかけてです。
紹介文にもありますように、本能寺の変をめぐる重要史料である『兼見卿記』や、細川ガラシャ明智玉子)自害事件を語る重要史料『霜女覚書』の成立過程を、史料学的に(その史料がどのようなかたちで書かれ、伝えられていったかという切り口で)考えれば、それらの事件はまた違って見えてくる、ということを論じています。
記憶と史料、記憶と歴史の関係を考えるということで、上のふたつの事件だけでなく、織田信長賀茂競馬見物、小瀬甫庵信長記』の成立、上杉家の合戦の記憶、佐竹家の大坂冬の陣の記憶などなど、さまざまな材料を取りあげます。つい興に乗って、『断腸亭日乗』や『古川ロッパ昭和日記』まで分析の対象にしてしまいました。
来月10日頃に店頭に並ぶと思います。見かけたら手にとってみてください。購入していただけると、なおありがたいです。