『霧と影』の原作と映画

霧と影

先日ラピュタ阿佐ヶ谷にて「霧と影」を観たあと、買ったまま積ん読してあった水上勉さんの原作(新潮文庫)を読むことにした。この『霧と影』こそ、水上社会派ミステリの第一作であったと記憶していたからである。
この作品がたいへんな難産のすえ生み出されたことについては、大村彦次郎さんの『文壇挽歌物語』*1ちくま文庫)に詳しい。坂本龍一さんのお父上である河出書房の編集者坂本一亀に見いだされた水上さんは、彼とのあいだで何度も原稿を書き直して提出するという苦労を重ねた結果、できあがったのが『霧と影』であった。『文壇挽歌物語』には、この作品が最初は「死火山系」と題されていたともある。おなじ書名の『死火山系』という別内容の長篇が6年後に刊行されているが、水上さんはこのタイトルによほど愛着があったのだろう*2
この『霧と影』が起爆剤となって水上さんは次々と社会派ミステリを発表し、「雁の寺」で直木賞を受賞することになる。「文壇」へと進出する大きなきっかけになった作品なのである。
松本清張の『点と線』を読んで大きな刺激を受け書きはじめられたというこの作品、たしかに、東京における詐欺・社長失踪事件と、若狭の小学校教員殺人事件という一見まったく関係なさそうな事件が実は裏でつながっていたというあたりや、そうした事件を生み出すことになった社会悪を暴き出すということでは、「社会派ミステリ」ということなのだろう。
文庫版解説の篠田一士さんも、この作品を「宿命に呪われた人間の呻き」「そういう宿命からのがれようとしながらもついにのがれることのできない人間の業の深さ」を描いて絶品という高い評価をあたえている。この評言から、松本清張の『砂の器』などを思い出してしまうのはわたしだけだろうか。社会派ミステリとは、これが特徴なのだろうか。
むしろ、刑事や新聞記者が足でこつこつ捜査をして、「点」にすぎなかった犯罪が思わぬところでつながっていたことがわかるという、「地道な捜査」をいかに面白く描くかというあたりこそ、社会派の本領(読んでわたしが面白いと感じるところ)だと思うのだが。
その意味では、原作の『霧と影』は、社会派とはいいながら、横溝的因習の世界、ロマンの世界への傾斜も捨て切れていない。事件の大きな鍵を握るのは、若狭の山奥にある四軒だけの集落であり、そこはふたつの家の本家と分家だけで構成されており、近親婚や狂人といった要素が介在している。もうこうなると土俗の世界である。これこそが、若狭出身である水上さんの小説世界の特徴なのだろうけれども、もう少し「こつこつ」を期待していた私には、不満だった。前掲の『死火山系』ばかりでなく、未読の水上ミステリはまだまだ多くストックしてあるので、これから楽しみに読むことにしよう。
いっぽう石井輝男監督の映画は、いまのような原作の土俗性も少し残しながら、いっぽうで原作にある経済的犯罪の複雑なところは大胆にカットし、大筋では丹波哲郎演じる東京の新聞記者と、梅宮辰夫(とてもスリムでハンサム、現代でも「イケメン」として人気が出そうな風貌)の地方支所の記者がこつこつと謎を追いかけて解き明かすアクションミステリになっているあたり、うまいと思う。石井監督の代表的シリーズである「ライン(地帯)シリーズ」が都会的な風俗ミステリであるとすれば、この「霧と影」は、この雰囲気を舞台を能登(原作とはこのあたりも違う)に移して持ってきた、地方版ラインシリーズのおもむきがあって、意外に面白かった。

*1:ISBN:9784480428189

*2:光文社文庫の「水上勉ミステリーセレクション」から出ている。しかしどうも未読らしい。ISBN:9784334743697