「幕末太陽傳」再見

幕末太陽傳

幕末太陽傳 デジタル修復版」(1957年、日活)※二度目
監督川島雄三フランキー堺南田洋子左幸子石原裕次郎金子信雄山岡久乃芦川いづみ小沢昭一二谷英明小林旭菅井きん西村晃/植村謙二郎/殿山泰司/織田政雄/岡田真澄梅野泰靖

年末年始休みの初日。今年最後にスクリーンで観る映画に選んだのは、川島雄三監督の名作「幕末太陽傳」(デジタル修復版)だ。来年2012年に創立百周年を迎える日活が、東京国立近代美術館フィルムセンターと組んでフィルムのキズなどをデジタル処理で修復し、劇場公開した。観てみるとたしかにキズなど一切なく、画面も明るくて見やすい。むかしの映画すべてがこんな感じになればいいのだが、そうはいかないのだろう。映画史上に燦然と輝く大傑作なればこそ。
この傑作、何度も観たつもりになっているが、観たのは約六年ぶり二度目。六年前は池袋新文芸坐の撮影監督高村倉太郎特集で、おなじ川島監督のこれまた大傑作「洲崎パラダイス赤信号」と二本立てで、初めて観たのであった。しかもこのときは、南田洋子さんのトークショーがあった。その南田さんも今は亡い。このとき、当の高村さんがお亡くなりになった直後で、南田さんは涙ぐみながら話をされていたことを思い出す(→2005/11/26条)。
とにかく、死というものがすぐそこまで迫っていながらも、「生きて、生きて、生き抜いてやる」という生へのエネルギーがみなぎるフランキー堺の存在感がすばらしい。前回は、フランキーを「所詮死ぬまでの命と割り切っている」と書いたが、大きな誤解であり、「とにかく死にたくない」という執念を彼の行動に見て取るべきだった。
また前回は、金子信雄山岡久乃菅井きんあたりが気になったようだ。今回とくに「いいなあ」と思ったのは、放蕩息子の梅野泰靖だった。とにかく春風駘蕩という気分を発散させながら、放蕩三昧でありながらも、父の借金で身売り寸前の女中芦川いづみを思いやるやさしさがある。梅野・芦川の二人が駆け落ちするのを助けるためフランキー堺石原裕次郎が手を貸すあたりにほろりとさせられる。
脇役ばかりに目がいくが、居残りのフランキーに仕事を取られっぱなしの奉公人たちに織田政雄や高原駿雄あたりを配するセンスがすてきである。そこにとびきり好青年の岡田真澄を入れるあたりの妙味。彼のハイカラな顔貌をギャグにする(この映画では、「こんな顔でも品川生まれの品川育ちだ」と言わせていた)のも日活の伝統なのだろうか。
やはり「幕末太陽傳」はDVDなどで観るよりも、映画館で多くの人と一緒に笑いながら観るのがいい。スカッと一年間の憂さ晴らしができたような気がする。