洋画家たちにとって東京とは

洋画家たちの東京

絵描きにとってパリという都市が特別な意味を持っているように、日本人の洋画家にとって、東京という都市もまた重要な空間であった。その人が生かされるか殺されるかは一に東京との相性の良し悪しに左右される。近藤祐さんの『洋画家たちの東京』*1彩流社)を読むと、そんな気がしてくる。
映画やテレビドラマを観たり、都市風景を描いた絵を観ていたりすると、この場所はどこなのだろうと気になる性分である。ただ、気になるのはあくまで東京という都市に限るのであって、対象が地方都市であると、興味は皆無とはいかないまでも、かなり稀薄になる。不思議なものだ。逆に、東京であれどこであれ、そのような空間的関心がまったくない人もいるだろう。近藤さんはまさにわたしとおなじ性向をもっている人だと親しみを感じた。
青木繁や村山槐多といった画家たちの生活と画業との格闘を、都市東京と結びつけてとらえる。しかもそのとらえ方は、たんにポイントだけにとどまらず、不忍通りといった道や藍染川といった川筋のような線をたよりに追いかけられ、さらに本郷台地・上野台地といった面で把握される。荻原守衛や中村彝にとっての新宿、長谷川利行にとっての三河島や池袋もまた、その地域全体の性質が問題とされる。
著者近藤さんは、みずからカメラを携えて彼らの苦闘の跡をたどっていく。その場所に立つことで、彼らがかつてその場所で暮らしたという空気を感じ取ろうとする。
去年下落合にある佐伯祐三のアトリエを訪れたとき、目白からそこまで歩いて行った。アトリエで入手した、新宿区の出しているパンフレット『落合の追憶 落合に生きた文化人』を見たら、中村彝もまた落合にアトリエを構えていたことを知り、そこも訪れたかったものだと悔やんだ。本書を読むと、彼のアトリエは佐伯のそれとおなじく、まだ現存しているのだという。

築九十年以上の風雪に耐えたアトリエは、現在もなお小さな奇跡のように鬱蒼たる緑の中に孤老の身を隠している。保存会による行政への働きかけもあるが、外壁の腐朽は隠しようもない。間に合うだろうか。(124頁)
別のところに著者撮影の写真も掲載されている(161頁)。佐伯のアトリエ同様、新宿区でなんとかしてほしいものである。
近藤さんは、長谷川利行木村荘八のあいだには、浅草や新宿といったモチーフが共通しているいっぽうで、大きな違いもあると指摘している。生粋の東京っ子である荘八と違い、京都山科に生まれた長谷川利行の東京は「あくまでの他郷の人間がかいま見る」ものであったとする。
けれど言うまでもなく、明治維新により人口が半減した東京にあって、近代社会建設の新しい担い手となるのは、多くの地方出身者であった。成功を夢見ての上京者たち、実際に成功を勝ち得るもの、夢破れて帰郷する者、いや、何よりも帰郷することもかなわない多くの故郷喪失者によって生きられた東京とは、長谷川利行が生き、そして描いた東京ではなかったか。利行の描く人物や都市風景に漂う言い知れぬ寂寥感は、荘八が描くことのないもうひとつの東京であった。(300頁)
そういう長谷川利行の東京に惹かれるわたしもまた地方出身者である。ただし著者の近藤さんは東京代々木生まれだという。地方出身者が書けば、「寂寥感」へのあからさまな共感によって、センチメンタルまるだしの甘ったるい記述になってしまうのかもしれない。東京生まれの人によって、東京という都市空間に即した洋画家たちの苦闘の歴史が書かれたことは、海野弘さんの仕事以来の快挙ではあるまいか。