煙草と映画

  • @MOVIX亀有
マイ・バック・ページ」(2011年、映画「マイ・バック・ページ」製作委員会)
監督山下敦弘/原作川本三郎/脚本向井康介妻夫木聡松山ケンイチ忽那汐里石橋杏奈韓英恵中村蒼長塚圭史山内圭哉古舘寛治あがた森魚三浦友和

川本三郎さんの『マイ・バック・ページ』が映画化されるという話を耳にしたのはけっこう前のような気がする。その後妻夫木聡松山ケンイチという現代を代表する若手俳優二人が起用されることになり、すっかりこの作品が有名になった。
映画化を受けて、平凡社から単行本*1が出たのは昨年11月なので、半年前になる。このとき東京堂書店から、川本さんのサイン入り本を購入している。読もうと思いつつ、数頁読みかじって、結局1日のファースト・デイ(映画の日)で安く観られる日がやってきてしまった。
もっとも原作は8年前に河出文庫版で読んでいる(→2003/4/1条)。このとき、このような感想を書いた。

しかも個人的には大学紛争、全共闘運動というものにはほとんど関心がなく、こうした政治運動に距離を置く人生を過ごしてきたから、川本さんが渦中に巻き込まれた時代の雰囲気というものを、書物などによる追体験にせよ味わったことがないのである。
今回映画を観て感じたのも、似たようなことだった。どうもあの時代の学生運動、そのなかに身を投じた若者たちの気持ちにうまく感情移入することができない。わたしが大学生になったとき、まだキャンパスには学生運動を叫ぶ集団の立て看板は賑やかに並んでいたし、授業などの前にそうした人びとが教室に入ってきて、演説をぶつということもあった。80年代後半の浮かれた時代につかっていた自分にとって、醒めた目で見つめるしかなかったのである。
またこういうことも書いた。
つまり川本さんは1970年前後という時代への信頼は決して消し去っていないのである。
その時代を生きていることは避けようがない。その時代のなかで自分の信じるところにしたがって行動し、人を傷つけ、自分も傷ついた。そうした複雑な思いが、映画のラストに表現されているのだろうと思う。この場面には胸が熱くなった。
映画のなかで、妻夫木さんはじめ登場人物たちはひっきりなしに煙草を吸っている。60年代、70年代とはそういう時代だったのだろう。古い日本映画を観ても、煙草はまったく日常生活に溶け込んだごくふつうの小道具である。
煙草を吸う人が少なくなった現在、スクリーンのなかにいる人びとたちが煙草を吸っている姿を観ると、どうも違和感を感じずにはいられない。映画の描く時代が60年代、70年代だったとしても、である。妻夫木さんが喫煙者か非喫煙者なのかはわからない。たとえ愛煙家であっても、彼が煙草を吸う姿は、不自然に見えて仕方がないのである。これは観るほうの人間、また時代の問題なので、俳優の責任でも演出の責任でもない。煙草が日常生活のアイテムではなくなった時代に、煙草がふつうであった時代の人間の何気ない仕草を描くことは、まことに難しくなったと言わざるをえない。