卵一個の問題

「二人の息子」(1961年、東宝
監督千葉泰樹/脚本松山善三宝田明加山雄三藤原釜足望月優子/藤山陽子/白川由美志村喬/小泉博/浜美枝東郷晴子/田浦正巳/沢村いき雄/原知佐子堺左千夫/織田政雄/佐田豊

タイトルの「二人の息子」とは、宝田明加山雄三の兄弟を指す。二人が主人公には違いないけれど、本当の主役は彼らを「二人の息子」とする立場にある父(藤原釜足)と母(望月優子)にほかならない。存在感抜群の名優二人だった。
藤原釜足は元小学校の校長先生なのだが、曲がったことが嫌いな正直者で、借金の保証人になったのだろうか、退職金や恩給を高利貸しに差し押さえられてしまい、貧乏暮らしを余儀なくされる。退職後は裁判所の嘱託として働いていたが、意見の衝突があって辞表を出して無職となり、いっそうの窮乏生活に陥る。
長男宝田明は東京駅八重洲口近くの会社に勤める堅いサラリーマン。出世を夢みて、今の生活を守ることに精一杯。大磯にある集合住宅(社宅?)で妻(白川由美)と娘と三人暮らし。妻はどうやら元水商売の女だったらしく、結婚時両親は猛反対したという経緯がある。白川はそれを根に持ち、夫の実家の窮乏生活に同情せず、舅や姑が借金を申し込んできてもきっぱり断る。
次男加山雄三は兄とは反対に「できそこない」の不良息子。でも親思いで、何とか家計を助けようと白タクの運転手などをやっている。末娘の藤山陽子は長兄の会社のエレベーターガールをしていたが、妻と死別したばかりの宝田の上司である部長(小泉博)に見初められ、秘書課に配属替えになる。
秘書課に配属された藤山は小泉からプレゼントをもらったり、食事するなど贅沢な暮らしに慣れ、貧乏な家庭を嫌いはじめる。またそれまで付き合っていた会社のボイラーマン(田浦正巳)に冷たくあたる。それが原因で命を落とすことになるのだが。
藤原・望月夫婦の会話で、子供三人のうち誰が一番かわいいかという話になり、藤原は、生まれてからいい暮らしをさせてやれないでいる末娘が一番だと述懐する。それが伏線のように、次のシークエンスが山場の一つとなる。とても興味深い場面だったので、その場面を脚本よろしく文字に起こしてみた。

(会社から帰宅した藤山、ガードの石段を降りると、兄加山の乗った車がクラクションを鳴らし、道端に駐車する)
藤山「おかえり」
加山「(車を降り、鶏一羽を右手に提げ)おい、これを見ろよ」
藤山「(驚き)あら、どうしたの」
加山「練馬行った帰りにはねちゃったんだ。しょうがねえから買ってきたんだ」
藤山「どうするの」
加山「食うのさ。決まってんじゃないか。鶏のすき焼きだ。お前野菜買ってこいよ」
藤山「はい(ハンドバッグを加山に手渡す)」
加山「俺料理するからな(家に入る)」
(夕食のシーン。家族四人黙々と鍋をつついて食べている)
望月「(微笑みながら)久しぶりでお腹がびっくりしてる」
藤山「兄ちゃん、今度牛はねちゃえば」
加山「馬鹿野郎。こっちがいかれちまうわ」
藤原「(鶏を噛みしめ、頷きながら)鶏の味忘れてたよ。卵つけて食べたら、もっと美味いかもな」
藤山「父さん言うことだけは贅沢ね。卵なんてつけて食べたことないくせに。ねえ母さん」
望月「昔はいつだってうちもそうだったんだよ」
藤山「あら、私なんかいつでも食べさしてもらったことなんかないわ」
加山「母さんないのかい、卵」
望月「一つあるけど」
加山「父さんに出してやりなよ」
望月「でもあれはお前が…」
加山「いいよ。構わないよ」
(望月、茶箪笥の引き出しから生卵一個を取り出して卓袱台に出す)
藤山「(卵を見ながら)それ兄ちゃんが飲むんでしょ。夜」
加山「(望月から受けとった卵を藤原の前に置いて)はい」
藤原「いいよいいよ。言ってみただけだ。んっ(卵を手に取り望月に渡そうとする)」
望月「(突き返して)いいって言うんだから、食べればいいじゃない」
藤原「いらないよ」
藤山「(両親のやりとりを見ながら父に向かい)食べればいいじゃない。頑固ね」
(藤原、黙って卵を加山の前に置く)
望月「(加山を見ながら)やっぱりお前にとっておこうか」
藤山「そうよ。兄ちゃんは一日に15時間も働くんですもの。父さんなんか何もしないんだから」
藤原「悪かったね」
加山「何言ってんだよ父さん、食べなよ(卵を父の前に差し出す)」
藤原「ほんとにいらないんだよ。(茶碗を置いて)もうしまいだから。(卵を加山のほうに転がす)」
(卵、転がって卓袱台から落ち、畳の上にあった栓抜きにぶつかって割れる)
望月「あらあら」
藤山「割れちゃった。(立ち上がり柱の状差しから葉書2枚を抜き取る)これでやるといいのよ」
望月(藤山から葉書を受け取り、それで畳の卵をすくう)「お皿」
(藤山、皿を母に差し出す)
藤山「あーあ、黄身も崩れちゃった。どうせ割れたんだから、父さんつけて食べなさいよ」
藤原「(声を荒げて)いらないと言ったらいらないんだ」
藤山「何怒ってんのよ。そんならはじめから卵食べたいなんて言わなければいいじゃない」
望月「(たしなめるように)紀子」
(藤原、藤山を平手打ちする。加山それを見て驚く)
藤山「(泣きながら)父さんなんか何よ。父さんなんか何よ。父さんなんか親らしいこともしないくせに」
望月「紀子、何言うのよ」
卵はそれほど貴重なものだったのだろうか。飽食の時代などという言葉をわざわざ出すまでもなく、いまや卵はあまりにもふつうにわたしたちのまわりにありふれた食材になってしまっている。
川本三郎さんの『映画の昭和雑貨店』*1小学館)に「卵」の項があり、卵が貴重だった時代において、映画に登場する印象的な卵のシーンが紹介されている。それによれば、敗戦直後卵は一個18円(黒澤明監督「素晴らしき日曜日」)。喫茶店でのコーヒー一杯が5円だから、四倍弱の高値だったわけだ。
とはいえすでに時代は高度成長期。いま紹介した場面から、すぐさま卵は貴重なものだったと短絡的に結論するほど単純ではない。この映画でも、直後に、大磯の白川由美が“贅沢にも”生卵をつづけて二つ割ってホットケーキを作ろうとする場面になる。さらに畳みかけるように次のシーンでは、白タク運転手加山雄三が定食50円の看板を掲げた定食屋で、生卵二個を割ってご飯にかけて食べている。
実際昭和30年代頃の生卵が一般家庭の食卓のなかでどのような位置をしめていたのか、生まれていないわたしには見当がつかないのである。宝田・白川の家庭も、月給23000円で汲々とした暮らしをしている(ただ電気冷蔵庫を月賦で買って、家にはテレビもある)から、ホットケーキというのも極端なのかもしれない。
ともかくも、藤原釜足は相変わらずうまいし、貧乏暮らしを演じさせて右に出るものはいない望月優子もはまり役、加山雄三も意外にいい。なかなかの作品だった。