たしかに「幻の本」だった

東京の情景

最近ブックオフに行く機会もめっきり少なくなってしまった。先日、非常勤出講の帰り道に、夜の表参道を歩いて久しぶりに原宿店を訪れたところ、閉店されていて呆然となった。並みいるブックオフのなかでもきわめて質の高い品揃えを誇っていた店であったが、やはり場所が場所ゆえか、収支のバランスがとれなかったのかもしれない。
ここ数年、ブックオフを訪れたときにたいてい目をやる棚があった。単行本のなかでも時代小説の作家五十音順「い」である。池波正太郎さんのとある本が目当てだった。
ところがとうとうその本が文庫に入ったのである。その本、画文集『東京の情景』が、池波正太郎エッセイ・シリーズ1 東京の情景』*1として朝日文庫に入った。
総頁100頁あまりの薄手の本だが、本書は池波さんが東京のなかで、思い出の町、好きな町、自作の登場人物と関係のある町などに足を運んでそれらの風景を水彩や油彩で描きながら、それぞれの町の姿を綴る内容となっている。
調べてみると、本書を知ったのは、2002年3月頃に「池波正太郎記念文庫」が設けられている台東区立図書館で開催された「池波正太郎自筆絵画展『東京の情景』」展だった。このとき、本書に掲載されている絵の原画が展示されていた。
当時すでに元版は絶版、文章のみ同じ朝日文庫の『私の風景』に収められていると書いている。展覧会の紹介文にそうあったのだろうか。当時のわたしは「これはちょっとおかしい。きちんとした形で文庫化してくれないものでしょうか」*2と異を唱えている。
それが5年越しでようやく実現したのである。たぶん展覧会のとき元版を見ているはずだが、いまやすっかり忘れている。ただブックオフでは、“大判の本”ということだけに注目して「い」の棚を探していたから、いかにも画文集らしい大ぶりの本だったのだと思う。
文庫版カバー裏の紹介文にも、「ファンが「幻の本」として愛する」とあるから、ブックオフには容易に入ってこないような本だったのに違いない。展覧会を観た直後、ネット検索もしたはずだが、見つからなかった。いまはどうか調べる気はない。文庫化されたことで、少しは出回るようになるだろうか。そんな稀少性の高い本をブックオフで見つけることに期待を寄せていたのだった。
本書には昔の東京の姿を強く懐かしむ池波さんの詩情がつまっている。たとえば「大川と佃大橋」の一篇。

夏だ。
どうしても、川が見たくなる。
東京の、川という川が埋めたてられた中で、大川(隅田川)のみは、さすがに埋めたてられなかった。
川をながめていると、心がなごむ。
そのうちに……。
えもいわれぬ感情がこみあげてきて、躰が熱くなってくる。
これは、どうしてわけなのだろう。
わかっているようで、わからない。
わからないようで、わかっている。
この文章は上に引用したあとも少し続き、思わず笑ってしまうようなオチがついているのだが、これ以上は触れないことにする。これなど、池波さんの〔躰の熱さ〕が伝わってくるような情感ただよう素敵な文章だ。
池波さんは佃がお気に入りだったようで、本書のなかでもめずらしく描かれた当時(1985年)の姿ではなく、わざと昭和27年の佃の渡しを描いた一枚がある。昭和27年に雪の日の佃の渡しを描いたスケッチが出てきたので、それをもとに仕上げたとある。「太平洋戦争が終わって七年、いまから約三十年前の東京の一角には、このような情景が残っていたのだ」と慨嘆している。
この佃の渡しの絵を含め、水辺の風景を描いた絵がいいと思うのは、池波さんがそれだけそうした風景に対し強い思い入れをもっていたからだろうか。

*1:ISBN:9784022644237

*2:当時設けていた掲示板に書いた文章。